第一部  思わぬ、言葉03


  晩餐会での出来事で心身ともに疲弊しているが、メイドになったシャロンには、休息などない。この数日は何事も無く過ぎているが、疲れや悩みから開放されることは無いのである。

  ここ数日ほどシャロンは、午前中はメイドとして屋敷の掃除を行い、午後は、自室でエディスの服の直しをすることが定着していた。
  最初の数日でシャロンは無意識にでも、服をちゃんと直す技能を身につけられた。今では手の触覚だけで、以前の縫い方を判断しそれに習い、直すことが出来るまでになっていた。

  元々思考の海に溺れやすく、消極的なため、今の現状ではそれに拍車がかかるのだ。しかしそれでは仕事にならない。それに情報も集まっていない時点で考えても無駄だ。
  そう考えたシャロンは、出来るだけ難しいことを続けることで、消極的な考えに向かっていってしまうことを防ごうとしていた。

  けれどもシャロンが今出来ることで考え付く、難しいことはもう無くなってしまった。

  そう思うと、少年に再会してしまったこと、青年がリリスの知り合いだったことへの衝撃、『真理の鍵』の情報収集など、シャロンの抱える問題が、すぐさま頭の中を駆け巡る。この中で一番不可解なことは、母リリスと青年が知り合いだったことへの衝撃だ。
  なんでこんなにショックだったのか、自分でも分からないのだ。驚きすぎたせいか、それが発覚した瞬間――青年には冷たい態度を取ってしまった。

  それなのに彼は――当然といえば当然だが――シャロンが少年と接触してしまったときに駆けつけてくれた。それがふいに頭に過ぎると、未だに煮えたぎらない気持ちになる。
  彼には頼ってはいけないのに、また、助けられてしまった。青年はシャロンを殺そうとしているのだから、これ以上弱みを見せるわけにはいかない。
  だからこそシャロンが出来る唯一の自衛――少年からの逃亡――をすぐさま図ったわけだが、いつまでも少年から逃げ続けるわけにもいかない。

  少年に会ってしまった以上、休みの日に図書館へ行ったり、レスチャーに依頼して調べてもらったりなんて、悠長なことを言ってられないのだ。この生活に慣れようとする余り、自分の今の現状を忘れかかっていたのかもしれない。
  早く自分ひとりで解決できるようにしなくては!  そう意気込んだのもつかの間、ノックの音が三回された。

「シャナ、居るかしら?  入らせてもらうわね」

  この女性にしては低く、凛とした声はセルマである。シャロンは返事をする。セルマは入室すると、隅に押しやられている粗末な二脚の椅子をベッドの前まで動かし、シャロンにも座るように促した。
  セルマは観察するように、室内を見やる。

「この時間であんなによく直せたわね」
セルマの視線は、シャロンが縫い終わったエディスの衣服に向けられている。
「これが仕事ですし」
シャロンのその回答にセルマは眉を顰ひそめた。

「シャナ、貴女、晩餐会から顔色悪いわよ?  何かあったの?」
「いえ、ただ緊張しただけですから」

  少年に襲われかけ、この後の行動に悩んでましたと、正直に言うことは出来ない。無難に晩餐会で思ったことを述べる。セルマはため息をついた。

「ならいいんだけど、他の招待客の使用人から何か言われたとか、そういうことではないのね?」
「はい、大丈夫です気後れしただけですから」
「そう……今の立場になって、何か困ることがあったらすぐに言いなさいね?」

  エディスお嬢様を初対面の時から不機嫌にさせましたと、言うべきだろうか?  けれども言ったとしても、その場面はマレット夫人が確認しているはずである。交代制とはいえ、なぜ侍女(レディースメイドに抜擢されたのか未だに不可解なシャロンである。

「すいません、お気を使わせてちゃって……ただ、疲れただけです」
「分かったわ、一人でここに居るのは気が滅入るだろうから、午後からも私たちと一緒に居てもいいわよ、飽きたら来なさいね?」
「お気遣いありがとうございます」
「そうそう、本題について忘れるところだったわ……シャナ、マレット夫人が呼んでたわ、きりがいいところで今の仕事が終わったら、午後のうちに家政婦室に行って頂戴」
「分かりました」

  セルマが席を立ち、もとの場所に椅子を片付ける。そしてセルマが退席する。ふっと息を吐いた瞬間、扉が開かれる。先程出て行ったセルマだ。

「言うの忘れてたけど、パーラーメイドから何か言われても気にすること無いわよ?  ただのやっかみだから。こればかりは奥様に言ってもらわないと……私たちに言われても困るのに、夫人には言っておくから今日はゆっくり休みなさいね?  じゃあ」シャロンの返事を待つことなく、今度こそセルマはシャロンとケイティの私室を後にした。

  最後の言葉は一体どういう意味かしら?  いや、今はそれよりもマレット夫人の所へ行った方がいいだろう。
  シャロンは、家政婦室へと向かうことにした。マレット夫人は温かな笑顔で出迎えてくれた。夫人は執務机を挟んだ向かいの椅子に、座るように促す。

「晩餐会は緊張したでしょう?」夫人はシャロンが座ると、そう問いかけてきた。
「はい、私には縁遠い世界だと実感しました」

  ある意味本心である。社交界デビュー間近だったというのに、そんな感想しか出ない。一応内輪のパーティーには出席しているというのに、他人ひと事に思えてしまう時点で問題である。今の生活のほうが、子供の頃から盗み見していた光景と重なるところがあり、親近感が沸いているのも駄目だろう。

  私はきっと生まれる家を間違えたんだわ。

  シャロンはそう自分を納得させると、頭を切り替えた。マレット夫人はどうして自分を呼んだのだろうか?  マレット夫人に呼び出された前回のことを思うと、身構えてしまう。

「セルマから聞きましたし、私もあなたを見てそう思いました、疲れているみたいね」
「いえ、そんなことは……」
「けれどもそれだけ、あなたが頑張ったおかげでしょう、奥様は貴女のことを褒めていました」

  私、褒められるようなことをしたのかしら?全く見当が付かないシャロンである。

「メイドにしては気が利くし、筋がいいといってくださいましたよ。お嬢様も貴女のことはとても気に入っているみたいね」

  奥様のことは分からないけれども、エディスには嫌われているのでは?  マレット夫人も、初対面のエディスの態度を見たはずである。なぜそのような話になっているのだろう。

「それでご褒美というわけではないのだけれど、行ってきて欲しい所があるのよ」
「行ってきて欲しいところですか?」

  マレット夫人から出た、現実とは真逆の話に驚き、相手の話を繰り返すことしか出来ないシャロンである。

「えぇ、実はお嬢様が、留学時代のご友人から、別荘に招待されているのよ、貴女にはそれに付き添って欲しいの」
「私が……ですか?」
「えぇ、自然が豊かで綺麗な庭園があるのですって、あなたも気分転換にいいと思うのよ」
「で、ですが、私が侍女(レディースメイドとして随行しては、折角のご友人との再会を台無しにしてしまうのでは……」
「晩餐会では沢山の人の目が合ったけれども、今回は懇意にしてくださっている方たちですもの、私からもあなたのことは伝えておくし、其処まで気にしなくていいわ、侍女(レディースメイドを連れて行くということが、大事なのですからね」

  確かに侍女が居るか居ないかでは、体面に関わる。しかしそうではないのだ。エディスはシャロンが付いていくと分かれば、いい顔はしないだろう。

「その、不躾を言うようですが、私はエディスお嬢様に、いい感情を抱かれていないと思うのですが……」
  仕えるべきエディスに不快な思いをされるよりは、ここで言ったほうがいいだろう。シャロンはそう思い、おずおずと口を開いた。
「まぁ、あなたはそう思っていたの?  エディスお嬢様は奥様に似て、気難しい一面がありますからね」
  マレット夫人は、何処からどう見ても驚いた様子で言った。

  いや、初対面で「帰って頂戴」とエディスはハッキリと言ったではないか。あれは気難しいという部類ではないと思うのだが……覚えていないのだろうか?  いやそんなはずは……
  衣類の解れを直すくらいならば、エディスは構わないようだが、友人に招待された別荘に連れて行きたい使用人が、他に居るのではないだろうか?  生理的に嫌っている使用人を、わざわざ連れて行きたいとは思えない。

「エディスお嬢様は、自分の感情を表現するのが苦手なところがあるの、でも別に気にする必要はないわ」
いや、使用人なら気にしないといけないのでは?  そうは思うが、シャロンに意見できるわけでもない。

  エディスには悪いが、ここまで言われてはマレット夫人の言葉を飲み込むことしかできない。マレット夫人はエディスに、侍女(レディースメイドとして連れて行きたい人を確認するだろう。
  その時エディスはきっと、シャロンを連れて行くことを良しとしない。あとでやっぱり違う人に言ってもらうことになったと言うことになるはずだ。シャロンとしてはそのほうが有り難いので、別に構わないが。

「また色々決まったら連絡するわね」
「失礼します」

シャロンが次呼び出された時は、侍女(レディースメイド役が変わったという話になっているだろう。





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