第一部  お嬢様の旅行01


  シャロンは忘れ物が無いかを確認していた。何回も確認しているのだが、気になって仕方が無い。

「シャナー、まだ確認してるの?」
「どうしても気になっちゃって……」
「そんなに心配しなくても大丈夫だってーそれよりお土産期待してるね」
「買ってこれたらね」

  ケイティと話していると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。そこにはセルマとメーヴィスが居た。

「今のうちに早く」
「私たちはお嬢様の荷物を運ぶから、慎重にね」
「はい分かりました」

  神妙な面持ちのセルマやメーヴィス、そしてそれに同調するケイティを不思議に思いながらも、シャロンはケイティとの部屋を後にした。使用人専用の玄関から出る。正面の玄関で待機していると、雇い主一家とマレット夫人が現れた。そのあとには、セルマとメーヴィスが静かに控える。セルマとメーヴィスは、二人乗りが出来る女性用の馬車に、素晴らしい手際で荷物を積めていた。

  その間に雇い主一家は言葉を交わしている。旦那様のイングラムや奥様のヘンリエッタは自然体だが、エディスは不機嫌なのが分かる面もちだ。

「見送りはいらないって言ったわよね?」
「ですからこの人数なのですよ」

  顔をしかめるエディスに、そう告げたのはマレット夫人である。
  ここに居る使用人は、随行するシャロンを含めても、たった五人――執事のラッセルズ氏とマレット夫人、そしてセルマとメーヴィス――である。
  普通ならハウスメイドとフットマンは、大半が揃って見送るはずである。人数が少ないのは、エディスの意向だったようだ。シャロンも大多数で見送られるのが――なんだか大げさな気がして――苦手なので、エディスの気持ちが分かるような気がした。

「先方にはご迷惑をかけないように」
「分かっていますね?」
「楽しんできてくださいませ」

  旦那様と奥様と夫人が、エディスに見送りの挨拶をしていた。

  エディスは「友人のところですもの、変わったことは起きないわよ、心配しないで」と言うと、執事のラッセルズ氏に補助され馬車に乗り込んだ。
  エディスが乗り込んだのは、女性達に流行しているヴェルデクア国の女王の名を冠する馬車である。車内からは、セルマとメーヴィスが手際よく詰めていた荷物がちらりと見えた。

  エディスが乗り込むと、シャロンが仕えている旦那様と奥様、マレット夫人がシャロンにも一言ずつ言葉をかける。

「エディスを頼む」
「あの子をしっかりと見張りなさい」
「お嬢様と仲良くね」

  旦那様と奥様からの指示は頑張れそうですけれど、夫人のおっしゃることを達成するのは、難しいと思います。

  シャロンはそう言いたかったが、言えるわけもない。その言葉を飲み込んで、シャロンはこう返した。

「私も微力ながら、お嬢様の御迷惑にならないようにいたします。ご期待に添えるように、精一杯お嬢様にお仕えしてきます」
  シャロンは一礼すると、エディスが乗っている馬車に乗り込んだ。
  ふと外に目を向けると、セルマとメーヴィスが視線だけで、激励してくれているのが分かった。シャロンも視線で気持ちを返す。
  エディスの指示で、馬車は走り出した。

  エディスの視線は馬車に乗り込んだときから、外に固定されている。向かいに座っているシャロンには、目もくれない。まるでシャロンが同席していることを、知らないようだった。このような態度を取られているのに、察することが出来ないシャロンではない。
  シャロンはなぜ、このような事態になってしまったのか、頭を抱えたい心境に駆られながらも、これまでのことを思い返していた。

「えっ、旅行?  お嬢様が?  忙しいし、あんまり外に出ないのに意外」

  エディスの旅行に侍女として随行するよう言われた件について、シャロンは寝台に横になったまま話すと、二段寝台 ベッドの上のケイティから、このような反応が返ってきた。ケイティ曰く、エディスが自分の意思で行動することは殆ど無いらしい。少なくともメイドの間では、そういうことになっているみたいだ。

  エディスは留学から帰国して、すぐに社交デビューした。外国暮らしが長かったため、早く故郷に慣れさせたいという侯爵夫妻の思いもあるようだ。
  王都に着いた翌日から訪問カードを配りに、夫人とエディスは各々の屋敷へ訪問したらしい。その際は、御者も目が回るような忙しさだったと話していたと、ケイティは教えてくれた。

  そのせいか、フラムスティード家に訪問カードを置きに来る人々も多く、フットマンやパーラーメイドも対応に追われたらしい。来訪が最高潮に達したときには、ハウスメイド頭のセルマや、長く勤めているメーヴィスも応対したと教えてくれた。

  その効果もあったのか、フラムスティード家が毎日のように精力的に社交に参加していることを、使用人たちは知っている。

  基本的に働くことは優雅ではない、お金を精力的に稼ぐのは、卑しい身分の者達という固定観念から、家名が古い世襲貴族ほど商売をしたがらない。しかし地方の労働者は、鉄道が発達したために仕事も選びやすく、人も沢山居る王都へ出稼ぎに行くことが多くなっている。そういう理由から農地を耕す小作人が減っている。
  そのため小作人から入る地代が、年々少なくなってきているのだ。シャロンの父アドルフも、それに困っている。それと反比例するように王都で商売をし富を築き、その功績を認められて上流階級の末端に属する者たちが、増えてきているのが今のヴェルデクアの現状だ。

  けれども、その波に乗れない世襲貴族は多い。そんな中で保守的な世襲貴族達とは違って、家名も高いというのに炭鉱業を成功させた、フラムスティード家と関わりたい世襲貴族達は多いと思う。保守的な考えは捨てきれない――けれども商いも興せず、財産は減るばかり。男性使用人の数も減ってきているにも関わらず、この先どうすればいいのか分からない。晩餐会を開いても、牡蠣しか出せない。

  そんな世襲貴族達が、フラムスティード家と良好な関係を築きたいと思うのは当然だろう。
  そのため様々な上流階級の人々から、招待を受けている中での旅行は――ケイティが言った意味とは違うが――確かに意外だとシャロンは思った。家名も高く財産も増えていると思われる、フラムスティード家の令嬢は引く手数多であろう。婚約者を見つけるのにいい機会である。

  なのに大切な友人から招待されたからといっても、普通旅行するだろうか?  基本的には社交デビューしたばかりのときが、一番婚約者を見つけやすい。やはり一歳でも若く、まだデビュー間近の令嬢のほうが新鮮に感じるらしく、殿方には受けがいいのが現状だ。
  エディスの立場ならば、より取り見取りだろうが、将来有望な殿方は誰もが狙っている物だ。気の置けない友人――仲が良好な一家よりも、多くの人と誼を結ぶことが先決なのでは?――と思う。

  しかしそんなことはシャロンには関係ないことだ。
  今大切なのは、エディスに嫌われているはずなのにも関わらず、侍女として随行するように言われたことだ。シャロンはケイティに、マレット夫人にエディスと引き合わされた時のことや、仕事を直接言い渡されたときのことについても話した。

「そんなことあったの?  その時言ってくれれば、皆で相談したのに」
布同士が擦れる音と共に、ケイティの声の位置が近くなった。寝台から顔だけ出して話しているのだろう。
「あまり大げさにすることでもないでしょ?」
「そうかもしれないけどさぁ……」

  ケイティはそう言うと唸り始めた。しかしそれも余り続かない。
「別に気にしなくてもいいんじゃないの」
ケイティの声の位置が、再び変わった。部屋が狭いため、前よりも僅かに遠めに感じる程度であるが。

「そ、そう?」
「だってさー私達に旦那様たちの事情なんて分かるわけ無いじゃん、マレット夫人がそういうならそれに従うしかないわけだし」
「まぁ、そうだけど」
「お嬢様に何か言われてもさ、私達にはその時言われたことをやるしかないじゃん、だってメイドってそういうものでしょ?  シャナは色々考えすぎだよー」
「メイドはそういうもの……ね」

「難しいことはマレット夫人とかセルマさんに任せよう?  私達が考えても何もわかんないんだしさ、やることやるしかないでしょ」
ケイティの声が先程よりも明るい。
「そうね、考えても仕方ないものね、聴いてくれてありがとう」
「どういたしまして」

  いたずらっぽいその声に、シャロンも思わずくすっと声が漏れた。けれどもケイティの言った――私達にはその時言われたことをやるしかないじゃん、だってメイドってそういうものでしょ?――という一言が少しではあるが、気になる。

  シャロンは伯爵令嬢という立場に辟易している。きっとそれと同じようにケイティのような子達も――メイドの仕事にうんざりとは違うものの――何かしら思うことがあるのだと、その一言から思った。

  シャロンにとってハウスメイドの仕事は、自分の立場に縛られることが無いもの。そういう理由から、どんなに疲れても辛いとは思わなかった。
  しかしそれがシャロン自身の思いであり、一般的な考えとは違うことが意識の外に追いやられていたのであった。自分は辛くないのだから、他の人もそんなことを思わないに違いないと、無意識にそう思っていたのである。

  メイドの仕事が辛くないことはない、そんなわけがないのに……本当に私って、何をするにしても分かってないし、中途半端ね。
  そんな自分に、名実共に優れている侯爵家の令嬢の侍女なんて、務まるはずが無い。晩餐会のときのように誰かの補助が頼めるわけではないのだから、旅行への随行なんて出来るはずもない。
  そう思ってエディスの旅行の話は、気に止めてはいなかったのに……

  どうして私はエディスお嬢様と一緒に、馬車に乗っているんでしょう?  どうしてこんな状況に……

  しかし胸中でそう問いかけても、その理由が分かるわけでもないのだった。ケイティの言葉が今更ながら、妙な実感と共にシャロンの中に沁みわたっていく。
  先程から馬車の外からは音がするというのに、馬車の内部は物音一つしない。エディスの視線は外に固定されたままだ。シャロンにとって気詰まり極まりないが、ここから出て行くわけにも行かない。

  シャロンは黙って馬車が駅に着くのを待った。

  駅に着くと、やはり其処は人がごった返していた。今日も様々な階級の人が歩いている。この光景がブリュネベルの――いや、ヴェルデクアの縮図なのだろうと、感慨深くシャロンは思った。
  これもメイドになったから、分かるようになったことである。シャロンは御者に、シャロンが切符を買うまではエディスを危ないので馬車の外に出さないように告げ、切符を買いに行くことにした。人の波に酔いそうになりながらも、シャロンは切符の売り場を目指す。

  そこでふと気づいた。シャロンは自分で切符を買ったことが無いのであった。今回ここにきたときも、メリッサに買ってもらったことを思い出す。御者に買ってもらうべきだったかもしれない。けれどもあんなに気詰まりな馬車の中で、エディスと一緒に居る自信は無い。
  切符を買いにいくといったのも、少しでもあの場から抜け出したくて咄嗟に言ってしまったことである。

  どうしましょう……

  いや、考えても仕方ない。切符売り場に行くだけだ。シャロンは以前の記憶を手がかりに足を動かす。人波に押されながらも、何とか切符入り場に並ぶ。ここに来るだけでも体力が消耗した気がする。
  青年と乗合馬車乗り場に行ったときは、疲れなかったというのに。

  そこでふと、青年に手を引かれたことを思い出した。そしてその時の感覚も。視線も自分の手のひらに向かうが、手を握ったり開いたりすることで、シャロンはその感覚を忘れようとした。

……思い出してはいけないものを、思い出してしまった気がする。

  今はそれよりも、ちゃんと切符を買わなければならない。シャロンは前に並んでいる人たちを観察し、その真似をすることにした。どきどきと心臓が動いているのを意識しないようにしながら、シャロンは前の乗客の切符の買い方に視線を走らせた。
  これも青年に視力を矯正してもらってから、できるようになった芸当だ。

  なぜ、青年のことばかり思い出してしまうのだろう。

  なにか引っかかる物を感じながらもシャロンは、より一層切符の買い方を観察することにした。初めて行うことなので、観察しすぎて悪いということは無い。
  けれども順番が回ってきて欲しくないと思う時ほど、早く自分の番になってしまうものである。

「お客さん、どこまで?」
「では一等車の席を二人分でオディギットまでお願いします」

  シャロンはそういってお金を料金分支払うと、すぐさま切符を差し出してきた。礼を返し、切符を無くさないように仕舞う。切符を買えたことにほっとするが、これで終わりではないことに気落ちしながら、馬車まで向かう。
  フラムスティード家の紋章が描かれているため、馬車は難なく見つかった。御者に待ってくれていたことに対して礼をいう。そしてエディスに切符を渡す。するとエディスは、僅かにではあるが目を見開き、驚いた様子ながらも受け取ってくれた。

  なにか可笑しなことをしてしまったかしら?

  シャロンは疑問に思ったが、エディスからの叱責も無く、指摘してくれる先輩や同僚が居るわけでもないので、エディスの反応に気づかなかった振りをした。
  御者にエディスを馬車から下ろしてもらうと、エディスを乗る列車まで案内しなければならない。御者が去って行くのを確認する。

  ……ここからが本当の侍女の仕事の始まりだ。

  シャロンは息を飲み込むと、意を決してシャロンはエディスに向きなおった。





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