第一部  思わぬ、言葉01


  シャロンは自室で、エディスから渡された衣類を縫っていた。メリッサから服の縫い方を教わっていて良かった。シャロンの侍女であるメリッサは、洋品店を営んでいる叔父を手伝い、お針子として勤めていた。
  シャロンが着ていた服も、その洋品店の物やメリッサお手製の物ばかりだ。
  メリッサが侍女として選ばれたのも、その腕を買われてという所が大きい。メリッサの大伯母のハンナが、シャロンの母のリリスの侍女だったからというだけではないのだ。

  縫い物に没頭していると、嫌な事を考えずに済む。何も考えずに何かに集中するなんてこと、いつ振りだろう。
  最近はなんだが初めてだったり、久しぶりだったりする事ばかりで、心が休まることを知らない。縫い物に集中できるこの時間に、シャロンは少し落ち着くことが出来た。

  今の状況には色々と思う事はある。その一つがエディスの態度だ。
  けれどもシャロンも使用人との距離感を掴むのには苦労している。そのせいか、あまりエディスを悪く思えないのだ。

  やっぱり掃除にしろ裁縫にしろ、自分で何かを仕上げるのは達成感がある。しかし目や肩に負担がくる。目が元々良くないせいか、どちらも疲れやすい。
  ほっと息を吐く。集中していた時には気づかなかったが、結構目や肩を酷使していたようだ。特に目が痛い。針を裁縫の道具に戻し、目を閉じる。こうしていると、やはり疲れているのだと感じる。
  何も考えずに目を閉じ、壁に体を預けていると、物音が聞こえた。人が歩く音だ。シャロンが目を開けると、そこには、あの『ウィリアム=ブレット』が居た。
  『彼』と目が合う。何か言わなければ、そう思い口を吐いたのは、こんな一言だった。

「あの……姿を元に戻していただけませんか」
「は?」

  その声や半眼でこちらを見る仕草で、やはり「彼」だと再認識する。その態度に安心することがあるとは思っていなかった。
  シャロン自身も第一声にしては、変な事を言ってしまったとは思う。けれど、その姿だと「彼」と話している気がしないのだ。
  こんな人が多い場所で、そんな事を言うだなんて、という危惧もあった。しかしなぜだか、彼ならば大丈夫なのではないかという、妙な自信もある。

  『彼』はシャロンを注視する。そのまま息を吐くと、シャロンに背を向ける。
  すると『彼』の背が伸び、髪から茶色が抜け、白に近い銀の光沢が覆っていくのが分かった。しかしシャロンはその現象に、全く心が動かなかった。只々当たり前の物を見るかのように、その現象を眺めるだけだ。
  そうしていると、シャロンの目の前に『彼』より馴染みのある姿が現れた。

「ほら、これでいいか?」
「はい、有難うございます」
青年は『彼』よりも、この屋敷専用のフットマンの制服を見事に着こなしていた。
『ウィリアム=ブレット』の姿よりも、なんだか似合っている気がする。『彼』が青年だと思ってはいた。しかし自分の考えに、自信が持てていた訳ではない。
  シャロンの日常が目まぐるしく変わっても、自信のなさは変わることのないものの一つだった。

「そんなに俺のこと見るの面白いか?」
『彼』が青年だったことを実感させられたシャロンは、まじまじと青年を見ていたことに気づいた。
「いえ、その……やっぱり貴方だったのかと思うと、妙な感じがしてしまったものですから」
「あっそう」
「不愉快だったのなら、謝ります」
「いや、そういうんじゃねぇし……お前ここで何してんの」ここお前の部屋だろ?  と、青年はシャロンを見やる。

  彼の疑問は最もだ。けれどもシャロンとしては、彼がどうやって、そして何故ここまできたのかが気になった。
  何故なら、青年がシャロンを助けてくれる度に、移動するあのやり方――なぜか瞬時に目的地に着いてしまっている――あの方法を彷彿させる現れ方だったからだ。もし本当にその方法で着たというならば、シャロンは彼を――軽蔑してしまうかもしれない。
  だってシャロンを、ハウスメイドになるように仕向けた時は、彼は慎重に慎重を重ねていた。シャロンには台本とも言うべき厚さの『経歴』を渡し、それを正確に覚えさせた。
  だというのに、こんな沢山の人を雇い入れている上流階級の屋敷で、そんな『力』を使ってしまうだなんて……もしそうだとしたら、随分自分には甘いものだと思ってしまう。

  こちらは彼に、色々な意味で文字通り命を預けているのだ。

  ちゃんとしてもらわなければ困る……彼にそう言っても大丈夫だろうか?  シャロンと同じ階級でないどころか、人間でもない。そしてこの世界の住人でもない。彼にこの世界――いや、人間の常識が当てはまらないことは分かっている。

  しかし、彼が使用人としてこの家に仕えている手前、それは守らなければならないのではないか。同じ屋敷に仕える使用人の男女が、与えられている個室に二人きりというこの状況は――あらぬ誤解しか生まないだろう。
  こういうことは、周囲に発覚してしまうかどうかの問題ではない気がする。使用人としての心構えの問題だ。

  ただただ異端な青年に、どう接していいのか分からないシャロンだった。

  いや、厳密に言うなら彼自身に戸惑っているわけではない。シャロンはいかなる時も、ロゼッツ伯爵令嬢として扱われてきた。
  だから戸惑っているのだ。シャロンの身分も――父に追従しての物ではなるが――気にせず、アドルフの知り合いだというのに、アドルフを通してではなく、シャロンに接してくる彼に。

  こんな事を考えている間も、勿論時間は過ぎていく。この状況が良くないことは重々承知だ。けれどもシャロンは、青年に聞きたいことが沢山あった。
  シャロンとしては、今のところ青年に質問したい気持ちが強い。彼と話せる機会は限られるだろうし、それに青年に対して色々と思うところは沢山ある。それも含めて、今言ってしまったほうがよさそうだ。
  シャロンはそう判断した。意を決して彼に問う。

「どうして、私のところにいらっしゃったのですか」
「お前が一人でこんな時間に居るのが珍しいと思ってな」
  その言い方だと、シャロンが普段何しているのか知っていそうな口ぶりである。いや、彼ならばどんなことでもあり得る。
  ……それで納得出来てしまう自分もどうなのだろう。

「仕事はどうなさったのです?」
「俺一人居なくても、どうとでもなるだろ」
「堂々とそんなことを仰るのは、いかがな物かと思いますが」
「他の奴に言うわけねーだろ、相手がお前だからだ。で、お前は何してんの?」
青年の視線が、シャロンの手元に向かう。

「エディスお嬢様に衣類の手直しを頼まれまして、直していたのです」
「ふぅん、それって今の本人に合わせて直さなくていいのか?」
「解れているとの事でしたので……」
「あーなるほど、そういうことか、しっかし、お前が『お嬢様』って言ってんの、やっぱ面白いな」
「そんなに面白いことでしょうか?  私の元々の立場がどうであれ……今はフラムスティード家に仕える、一介の使用人に変わりありません、それにこの現状は、貴方が望んだことでは」
「……まぁな」
「お伺いしたいことがあるのですが、伺ってもよろしいですか?」
「何だ言ってみろ」

  彼は即座にそう言った。しかしその言葉に反して、表情は険しかった。しかし、そのことについて指摘すると「分かっているなら止めろよ」などと言われてしまう気もする。
  彼が嫌がっていることに気づいていて、質問する自分はずるいかもしれない。けれども、これはシャロンにとっては重要なことだ。
  普段だったら躊躇うというのに、どうして青年相手だと色々聞こうとするのだろう。

一番警戒しなくてはいけない相手だというのに……

「何故私を、キャナダイン夫妻の所に送り届けてそのままだったのですか?  あの時点でお父様と話はついていたんですよね?」
「いや、そうじゃねーよ、あいつがお前を送り届けるだけでいいって言ったから、そうしただけだ、でもその後もお前の親父はしつこくてな」
「断らなかったのですか?」
「何回も断った、本当にしつこいなあいつ、『私の娘を頼めるのは君しかいない』とかぬかしやがって……俺は出来ねーってつってんのによー全然話きかねーし、俺だって暇人じゃねーのに……話あんなに聞かない奴とは知らなかったわ、すっげーイライラして、何回お前の家の床が抜けそうになったか……あいつに言っても埒が明かねーし、お前と話したほうが話通じるかと思ってな、話を受けた振りして、お前のところに来たわけだ」
「も、申し訳ございません、父が無理難題を言ったようで」

  まさかそんな経緯だったとは……しかしアドルフが、そんなに押しが強いとは思わなかった。意外である。

「でも、そう言うことでしたら、そのまま話を受けた振りをして、私のことは放っておいても良かったのではありませんか?  何故助けてくださったのです?」
「あーそういやそうだな、何でだ?  どうしてこうなった」
「いえ、それは、私が伺いたいのですが……」
「いやーまぁしっかし、なんか昔より性質悪くなってねーか?  お前の親父は。これで益々嫌いになったわ」

  父のことが嫌いだったのなら、それこそ助けずに、放って置けばよかったのではと思う。けれども、流石にこのことに関しては質問は出来なかった。

「そういうことを仰るということは、父との付き合いは長いのですか?」
「うーん、年数は覚えちゃいねーけど、お前が生まれる前くらいか?  知り合ったのは」
そんなに長いとは……アドルフが古い知り合いだというだけのことはある。

「どうやって知り合ったのですか?」
「なんだったっけか……」

  青年はそのまま黙ってしまった。記憶の糸をたどっている様だ。腕組みをして、壁に寄りかかる姿が妙に似合っている。
  なんだかその姿を見ていると、自分と青年の差異を否応なく感じる。どうして私は黙っていても画になる人と、ここで会話をしているのだろう。
「あー思い出したわ……リリスが『私この人と結婚するの!』とか言って、無理やり引き合わされたのが最初だな」
「ちょっと待ってください、では元々はお母様と交流があったのですか……」
「まぁ、そうなるな」

  胸が静かに軋む。自分のただの勘違いで、気持ちが沈んでいくのは身勝手だ。切にそう思う。自分の気持ちだというのに、落ち込んでいくのが止められない。
  シャロンのことを彼がどう思っているかなんて、本当のことは彼自身にしか分からない。気安く接してくれている青年に、両親の付属物として見られていないという可能性に、今更胸の辺りが冷たくなっていくような気がした。
  けれどもアドルフのことを、リリスのことも知っていても――彼の態度は何も変わりなかった。それでは何がいけないのだろう。

  どうして私はこんなに苦しいのかしら?  シャロンは無意識のうちに、こんな言葉を紡いでいた。

「ご存知かどうか分かりませんが、貴方が女性の個室にいるこの状況は、あまり褒められたことではありません。一応この部屋も、私とケイティさんの私室です。そろそろお引き取り頂いてよろしいですか?」
「おい、いきなりお前何言って……」
「そろそろ、お戻りになったほうがよろしいかと思いますわ、と言っているんです。お仕事中なのですし」
「話聞けよ、いいかお前」
「お帰りください」

  シャロンは青年を扉まで追い立てる。エディスに追い立てられた時と、役割が変わったことを頭の片隅に感じ、僅かながらも可笑しさを感じた。だというのに、シャロン自身にも不可解な言動を、止めるすべは無かった。

「シャロン」

  青年の大きくも小さくもない声に、反射的に体が固まる。それと同時にシャロンは、ふっと我に返った。
  どうしてこんなことをしてしまったのかしら。自分の行動がよく分からない。
「いいか、気をつけろよ?」
  青年がしっかりとシャロンの顔を覗き込む。しかしそれも数瞬だった。青年がシャロンの視界から消え、ガチャリと音がした。静寂がその場を支配する。シャロンはそれで、我に返り、あの音が青年が部屋を退出した音だと気づいた。

  どうして、彼の前だと言動がおかしくなってしまうのだろう。
  この生活になってからというもの、なんだか自分を抑えられて居ない気がする。
それはこの青年と関係あるのだろうか?  それとも環境の変化のせい?

  シャロンはその気持ちを誤魔化すように、直し途中になっていた衣服に、再び針を通し始めた。しかしシャロンの中の、不可解な思いは消え去ることは無い。
  いや、リリスのことを聞いて動揺したことは分かっている。けれども、青年の口から母の事を聞いてなぜこんなにも……

  何の前触れもなく、ガチャリと扉が開いた。
  思わず、扉の方向を見る。するとそこには、エディスが表情の読めない顔で立っていた。





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