第一部  断れない差配02


  シャロンは家政婦室を後にした。午後の仕事は靴磨きのため、玄関の方に向かう。玄関に着くと「シャナこっちー」とケイティに声をかけられる。
  シャロンはそちらに向かうと、ハウスメイドボックスから掃除に必要なものを取り出した。

「で、何だったわけ?」

  ケイティは単刀直入に聞いてきた。何か聞かれるとは思っていた。けれどもまさか、ここまでハッキリと聞かれるとは思っていなかった。
  シャロン自身も、誰かに話を聴いて欲しい。けども人の目があるので、後でゆっくり話したい。ハウスメイド達が居る場所で、侍女の話を受けてしまったと言えるほどの勇気はなかった。

「うーん、ちょっとね」
  シャロンが言葉を濁すと、ケイティは察したらしかった。
「絶対に後で教えなさいよ」
  ケイティはそう言うと、手を動かしながらもシャロンに他愛ない話をし始めた。

  今日の仕事も無事に終わった。身支度を終えると、ケイティが声を掛けてくる。

「で、何言われたの?」
  ケイティのその訊き方は、今か今かと待ち構えていたのが分かる言い方だった。その言い方にシャロンは思わず苦笑を漏らしそうになった。
  シャロンにとって気が重いことが、もたらされたと話すだけなのに。

「侍女の仕事をしてみないかって、お話だったんだけど……」
「あぁーそういや皆、順番一通り終わったんだった」
  恐る恐る切り出したシャロンとは対照的に、ケイティはさらりと言う。

「私受けてしまったんだけど、これからでも断ったほうがいいよね?」
  ハウスメイドの仕事もままならないというのに、侍女だなんて到底勤まるものとは思えない。勿論目立ちたくないというのも理由ではあるが。

「皆やってるから、そんなに気にしなくていいってーみんなやってるのは理由があるし」
「理由?」
「お嬢様がちょっとね」
「お嬢様?」
  思いがけない話に、シャロンは聞き返した。
「そうそう!  なんかさー気むずかしいっていうの?  愛想も悪いし、まぁ美人は美人だけどさ、お高くとまってるって言うかー」

  ケイティが言うには、以前は侍女を雇っていたらしい。しかし、お嬢様の無理難題に根を上げる人が多く、みんな辞めてしまったらしい。そのためメイドによる交代制になったようだ。
  メイドになってからは、鳴りを潜めているようだが……もしかしたら自分もこんな風に噂されているのだろうかと、どうしても思わずにはいられないシャロンであった。

「まぁ、私にはそんなに変なこと言わないけど……」
「そう……」
「まぁ、だから別に気にすることないって、シャナなら大丈夫でしょーなんかあったら相談乗るから」
「ありがとう……」
「明日も早いし寝よーおやすみー」
「おやすみなさい」

  ついにこの時が来てしまった。分かっていても緊張することを止められなかった。今シャロンは、このフラムスティード家の令嬢――エディスの私室の前に居た。今回は顔合わせなので、隣にはマレット夫人もいてくれている。しかし、緊張していることには変わりなかった。
  エディスは、隣国のリピスフローに留学していたため、ブリュネベルでの生活は久しぶりらしい。そのため、そのフォローをお願いしたいとの事だった。
  マレット夫人が戸をノックする。夫人が声をかける前に「開いてるわ」という声が聞こえた。

「失礼します」

  マレット夫人の声と同時にパッと扉が開かれる。そこにはこの部屋の主であろう、エディス=フラムスティード――アイゼフェロー侯爵令嬢が居た。
  彼女は砂色の髪(サンディブロンドを、そのまま背に垂らしていた。ゆったりとした化粧着ペショワールを身につけているさまは、やはり令嬢である――優雅としか言いようがない。けれどもその優雅さを打ち消すかのように、彼女は腕を組み仁王立ちで、こちらを見据えている。そして彼女の後ろの窓からは光が差しこみ、彼女の姿に陰影を差していた。

  どう見てもその様子は、シャロンの緊張に拍車をかけるものでしかなかった。

「エディスお嬢様、また髪の毛を纏めていらっしゃらないんですか?」

  シャロンはマレット夫人を温厚な人物だと思っていた。そのため夫人が挨拶もなしに、エディスに指摘する様を見て内心驚いた。

「別にいいではありませんか、部屋から出るつもりはないですし」
  エディスは丁寧な口調とは裏腹に、平然とそう言った。きっとこのやり取りも幾度も行われて来たのだろう。そう察するに値する態度だった。

「お嬢様がその様では、使用人たちに示しがつきません」
「夫人も知っているでしょう?  私、髪を結うと頭が痛くなるんです」
「ですが、髪の毛を結わないのは子供の証拠ですよ?  お嬢様は何時までも子ども扱いのままでいいのですか」
「あら、一つ抜けていますわよ?  娼婦も髪を結わないじゃない」
「なんて事をおっしゃるのですか!?」
「事実を言ったまでですわ」
「そのような知識を一体どこで身に着けていらっしゃるのですか」
「私も子供のままではないの、知っていても不思議ではないと思いますわ。もう大人ですもの、ちゃんと女王陛下にご挨拶出来るくらいには」
「それはデビューしたばかりというのですよ」
「じゃあもっと色々知らなくてはね?  例えば……」
「分かりましたから!  本当にお嬢様には付き合っていられません」
「奇遇ね、私もそう思っていたところなんです」

  シャロンはただ、その様子を眺めているしか出来なかった。胸が軋むのを感じたが、それを必死に無視することに努めた。
「夫人、用件を伺いますわ、何か私に伝えることがあったのですよね?」
  シャロンは、その言葉にほっとする。いつまで石像のように、身を潜めていればいいのかと思っていたからだ。

「そうです!  全くお嬢様は……」
「私が髪を結わないのは、今に始まったことじゃないのに……そんなに慌てる事がおかしいのですわ」
「私は昨日伝えさせて頂いたはずですが?  今朝方ご挨拶に伺うと」
「えぇ聞きましたわ、しっかりと」
「ならば何故……」
「私、了承していませんもの」
「はいと仰ったではありませんか」
「それは話を聞いているという意味です」マレット夫人からため息が漏れた。
「こんな実のない話は止めませんこと?」
「それは私の台詞です」マレット夫人はそう言って、シャロンに視線を向ける。こちらに来るようにと言う意味だろう。
「今日からお嬢様のお世話をさせて頂くシャナです」
「初めてまして、これからお世話になります。シャナと申します」エディスはシャロンを不躾に、頭からつま先までまじまじと観察すると、こう言い放った。

「……帰って頂戴」
「お嬢様、それはどういう意味ですか」マレット夫人がエディスの言葉を半ば遮るように言った。
「そのままの意味です。違う人を寄越してくれる?」エディスは、呆然としているマレット夫人とシャロンを、扉まで追い立てる。
「質問は受け付けませんから」エディスは捨て台詞と共に、ぴしゃりと扉を閉めた。

  閉じられた扉の音が、辺りに妙に響いた気がした。
  その音が、どういう訳か耳に残る。マレット夫人も、思っても見なかった反応だったのだろう。マレット夫人が声を漏らしたのは、数瞬経ってからだった。

「お嬢様が、意思を示されるだなんて……」
  シャロンは、その言葉の意味が気になった。けれども下級使用人の立場で聞き返す事でもないだろう。シャロンは聞こえていない様子を貫いた。

「貴方、もう持ち場に戻っていいわ」
  マレット夫人は、じっと扉を見つめたままシャロンにそう命じた。シャロンは礼をし、その場を後にした。

  一時はどうなるかと思ったが、侍女の役目を引き受けることにならなくてよかった。シャロンはそう一息吐く。
  けれど……なんだか気落ちしてしまうのは、何故なのだろうか。
  これでよかったはずなのに……だって命よりも、大切なものなんて無いというのに。シャロンの言動で、家名に傷を付けるわけにもいかない。そう自分に言い聞かせて、納得させた――させたはずだった。

  だというのに、どうしてこのような事態に……シャロンは、昨日と同じくエディスの私室に向かっていた。昨日と違っているのは、マレット夫人が居ないことだ。そのためか、足取りは重くなるばかりである。
  昨日はあのまま、普段通りの仕事に戻った。
  しかし再び夫人に呼び出され、引き続き侍女を行うようにと、なぜか言われてしまったのだ。
  勿論シャロンは固辞した。頼みごとを断るのは苦手だ。けれども勇気を出して、丁重に断ったつもりだった。エディスのあの態度では、シャロンに出来ることは何も無いだろう。それに目立つことは、避けなければならない。

  シャロンの言動が、どのような事態を引き起こすのか分からないのだから。

  シャロン自身もシャロンの周囲の人々も、危害を加えられないようにするには、早く襲ってきた少年について何か打開策を講じなければならない。
  いや、少年については本当に敵なのかも分かってはいないのだが……しかしながらシャロンの脳裏には、シャロンを殺すとまで言い放った青年が動揺していた姿が――離れない。
  もしかしたら、青年が本当の敵で、少年がいい人なのかもしれない。
  だから青年が、動揺していたとも考えられる。けれどもその裏づけも無い。何の確証も無いのに、考えだけが先走っている。
  何も分からないまま、日々だけが通り過ぎていく。
  シャロンの考えが凝り固まる前に、早く色々調べてみないと……それにはやはり、あの『鍵』が重要なのだと思う。

  そう思い仕事が終わった後、思い切って頁を開いてみた時があった。寝台に入り、頭から毛布をかぶって。けれども其処には、記してあったはずの様々な国に関しての記録や図版は、何一つなくなっていた。

  そう、何も記されていなかったのだ。

  もしやと思い一回閉じ、表紙を見る。
  すると案の定、其処にも何も記されていなかった。シャロンが本を開いた瞬間に消えうせたのであった。手はちゃんと表紙に添えられていたというのに、手の触覚にも変化は無かった。先程までは金色でタイトルや著者名が、印字されていたのにも関わらずである。

  本当にこの本は『鍵』なのだと、それでようやく判らされた気がした。

  予想してはいたが、やはり『鍵』自体を調べないといけないのかもしれない。青年は何か知っていそうだが、話を聞くわけにもいかない。シャロンの考えが見透かされてしまう気がする。
  結局聞くとすれば、レスチャーということになりそうだ。この『真理の鍵』は悪魔が作ったらしいので、適任だろう。それに職業が探偵なので、詳しそうでもあり、お金を渡せば仕事として取り計らってくれそうな気もする。

  今度の休みこそは絶対に、一人で探偵事務所まで行きましょう。

  そう決意を新たにしていると、エディスの部屋まで着いてしまった。扉を仰ぎ見る。けれどもここに立ったままでも仕方ない。
  シャロンは深呼吸をして、目の前の扉をノックした。
  するとシャロンが声を発するよりも早く、声が聞こえた。扉が開き、エディスが顔を見せた。エディスの砂色の髪(サンディブロンドは、今日も同じように下されている。
  エディスは扉から顔を僅かに覗かせて、周囲を見渡す。そして何かを確認した後、シャロンを私室に通した。そして扉を、音が聞こえないほど慎重に閉めていた。
  シャロンは怪訝に思った。しかし指摘したとしても、シャロンの期待している反応は返ってこないだろう。
  エディスはシャロンを通り過ぎる。その余りの俊敏さにシャロンは内心驚いた。しかしそれに気づく様子は無く、エディスは収納家具(クローゼットから何かを取り出した。
  それは大きな籠のようだ。エディスはシャロンに、それを差し出してきた。

「この中の服、全部解れてるのよ、直しておいて。直したら持ってくるの、分かった?」エディスはそう言い切ると、シャロンを扉まで追い立てた。
「全部直すまで顔を見せないで、用があるときや外出のときは呼ぶわ、いいわね?  返事をしなさい」エディスは有無を言わさぬ姿勢だった。シャロンに了承以外の返事を求めていないことは明白だ。
「分かりました」エディスは半眼になった。
「……お嬢様」シャロンがそういうと満足したのか、エディスは扉を閉めた。訪れた時とは一転、扉はピシャリと閉まった。

  何がお嬢様の、気に障ってしまったんでしょう……
  思わずため息をつくと、視線の先にはエディスから渡された――押し付けられたといったほうが正しい気もする――籠があった。
  シャロンはその籠を手に、来た道を戻り始めた。





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