第一部  友人との休日01


  シャロンは何とか平静を保っていた。
  何時もの通りハウスメイドボックスを持ち、応接室の床を磨いてはいる。けれども頭から、青年の声を離す事は難しかった。
  今回も青年はシャロンの周辺には、居ないものだと思っていたのに……まさか同じ使用人という立場で、シャロンの傍に来るとは思いも寄らなかった。

  シャロンがハウスメイドの面接を受ける時には、何一つ、言われなかった。そう思うと、胸が軋むのを感じる。
  最近あまり感じていなかった身体の違和感に、シャロンは不快感よりも訝しさを強く感じた。シャロンは考えすぎたり、悩みがあったりするとよく、体に違和感を感じた物だ。
  きっと今回は考えすぎのためだろう。

  それほどまでに考え込んでしまうのは、この潜伏生活――上手い例えが見つからないため、便宜上そう呼ぶことにする――に入ってからは、今まで無かったことである。

  自分のことだというのに、そのことにも疑問を感じる。

  怒りを覚えるならともかく、何故こんなにも胸が軋むのだろう……いや、止めよう。なんだかこの先は考えてはいけない気がする。

  シャロンは疑問点を整理することにした。

  青年がなぜフットマンとして働いているのか?
  何故そのことを伝えられなかったことがここまで引っかかるのか?

  けれどもその疑問を氷解させるためには、本人を問いたださないといけない。
  しかしメイドが男性と関わることに関しては、よく思われない。恋愛に発展すると、困ることになる場合が多いからだ。契約のときに、恋愛は禁止と予め言われる場合もある。外聞が悪く思われることは、やはり避けたい。そう思うのは、どこの家でも思う本音だろう。
  最悪妊娠されてしまうと、使用人の数が足りなくなる事もある。
  基本的に使用人同士でそうなってしまった場合は、メイドが職場を離れる事が多い。妊娠して仕事どころではないという理由もあるが、女性使用人よりも男性使用人は貴重だからだ。
  勿論、双方解雇されることもあるだろう。

  シャロンの頭の中は休まることを知らない。青年と二人きりで話す機会は巡ってくるだろうか?  そこにばかり思考が飛ぶ。今日使う部屋を皆で掃除をし、朝食を食べる間も。
  その後も何時も通り床や手すりに、誰にも言えない思いをぶつける。今日は困惑する気持ちや――それを解消するためへの行動策を、考え続ける。手をギュッと潰すかのように力を込め雑巾を握り、壺や手すりなどを一心に磨く。

  少しその事から解放されかけたのは、昼食ディナーのときである。
  朝食中は仕事が一段落していないため、時間にも精神的にも余り落ち着くことは出来ない。けれど昼食は別である。使用人の間では、この食事が一日において一番のご馳走だ。
  そのため一番時間も取れるし話も弾む食事は、この時間だろう。まぁ、その部署によってはこれから忙しくなるため、そんな余裕も無い部署も勿論あるが……
  シャロンが黙々と朝食を摂っていると、シャロンの耳にふと声が届いた。考え事の最中に声が聞こえるなんて……珍しいこともあるものだと、シャロンはその声に意識を向けた。

「で、ウィリアムだっけか、お前どこの出身?」

  そう切り出したのは、クリフである。クリフもケイティと同じく、新入りが入って嬉しいのだろうか。シャロンが思うに、ただ先輩風を吹かしたいだけの気もするが……やはりこの馴れ馴れしく、荒っぽい言い方は好きになれそうにない。
  けれども今はそれよりも『彼』が何を言いだすのか――それだけだ。

「え、僕ですか?  僕はフィロハの出ですよ」

  人懐っこい笑みを浮かべ『彼』は言う。顔も声も背も何もかも違う彼は、一言で言えば……『不気味』だった。いや、勿論最初感じた印象を裏切っては居ない。どう見ても、田舎から出てきた純朴そうな――悪いことは何一つ出来なさそうな若者という風体だ。
  けれど『彼』だと気づいてしまうと、なんとなく違和感が拭えないことは確かだ。どう見ても入らない物を、箱に無理矢理押し込んだような……そんな感じがする。

「へぇーじゃあ俺と一緒じゃん、フィロハの何処だよ」
「レドロンです」
「そりゃあ遠くから来たもんだなぁ、あっちは開発が進んでないからなー大変だろ」
「えぇ、まぁそうですね、だからこそ今回こちらでお世話になる事にしたんです」
当たり障りなく彼は質問に答えていた。
「家はなにしてんの?」

  シャロンとしては気がかりで仕方なかった。きっと『彼』のことだ、上手く話すのだろうとは思う。口が上手いのはシャロンは百も承知していた。しかし彼は敬語が使えないのではと内心、僅かではあるがシャロンは思っていた。
  けれどもそんなことは全く無く、いかにも新入りといった様子で話している。普通なら安堵を覚えるのだろう。けれどもシャロンの心中では不安が溢れるばかりだ。
  それはそうと人の事を根掘り葉掘り聞くのは、いかがなものかと思った。『彼』の事情を差し引いても、余り聞いていて良い気分ではない。

「いい加減にしなさい、皆アンタみたいにお気楽じゃないの」
  シャロンの心中を察したように、そう嗜めたのはメーヴィスだ。 「なんだよ、お気楽って」 「あんたがお気楽じゃないなら、誰がお気楽って言うのよ」

  ジェシーがそれに続いた。皆が笑う。シャロンはその様子にほっと一息を吐き、昼食を食べ進めた。昼食が終わると今日も勿論、仕事が待っている。シャロンが席を立つと、ケイティが声を掛けてきた。

「ねぇシャナ、もしかして仕事する気じゃないでしょうね?」
「当たり前じゃない、今日は窓拭きをする曜日のはず……」
  ケイティの訝しげな様子に、シャロンはそう返した。シャナというのは、シャロンの偽名である。響きが似ているため反応しやすいだろうと、青年が勝手に考えたのだ。

「やっぱりそう思ってたのね……熱心ねって言うべき?  今日半休なの忘れちゃった訳!?」
「ハンキュウ?」
「まだ寝ぼけてるの?  今日午後はお・や・す・み・な・の!!」
「お休み?  あぁ半休って……そういうことね」
「やっと分かったのね……」
  ケイティにため息を吐かれてしまった。

「すっかり忘れちゃってて」
「もう!」
「ごめんなさい」
「まぁ、別にいいけど、そんな様子じゃ今日は何も用事ないでしょ?」
「な、ないけど」
「ちょっと付き合ってくれない?」

  ケイティはそういって、シャロンの腕を取り、二人の相部屋までシャロンを引っ張っていった。





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