第一部  友人との休日02


  シャロンはケイティに連れられ、街に出ていた。シャロンにとって初めての休日である。ケイティは洋品店へ行きたかったらしい。
  確かに何か買うのなら、給料が入ったばかりの今はうってつけだろう。ケイティは先程から、流行のリボンや帽子等を眺めているようだ。

  折角なので何か買ってもいいかもしれない。シャロンは手頃な布地が無いか、探していた。何故布地かというと、ハウスメイドという職に就いているためだ。
  ハウスメイドは、お屋敷内の環境を整えるために居る存在だ。基本的に掃除が多い。立ったりしゃがんだりと動くことも多く、重い物を運ぶ機会が多い。
  その中でも辛いことの一つが、床を綺麗にすることだ。膝立ちになって行うため、膝に負担が掛かる。最悪、病気になってしまう事もあるらしい。そう言う理由から、膝当てを屋敷のハウスメイドは例外なく付けていると、以前ケイティが教えてくれた。

  丁度良い機会である、裁縫は得意ではないが、嫌いでもない。上達を図るにもいいだろう。分からない所は皆に教えてもらうという手もある。
  シャロンは布地が厚く、普段履く黒地のストッキングと同じような色の布地を買うことにした。

  シャロンが買い終わっても、ケイティはまだ悩んでいるようだ。しきりに眺めては眉根を寄せ、難しい顔をしている。ケイティはシャロンが近くに来たことで、我に返ったらしい。
「もう終わったわけ?」と不思議そうな顔で問いかけてきた。
「まぁ、これだけだし……」
シャロンはそう言って、布地を見せた。
「はぁ?  本気なの?」
  その声で、他のお客さんが一斉に振り返ってしまった。なんだか今日は、ケイティを怒らせてばかりいる気がする。丈夫だが、お値段がお手頃な物を買ったつもりだったが、駄目だったようだ。

「もっと安いのあった?」小声でそう問いかける。
「そうじゃないわよ」ケイティはさらに小声だ。
「何でそれしか買わないのよ!」ケイティは小声で怒鳴るという、器用なことをやって見せた。
「えっ?」
「それにどうしてここまで来て、そんな地味な色の布を買うのよ!  もっと綺麗なやつ使えばいいでしょ」


  まさかそのような指摘を受けるとは思わなかった。シャロンは青年と契約を交わしたときに、青年に渡す金額を取り決めていなかった事を思い出した。そのため余りお金を使うのもどうかと思い、買うのを控えたのだ。

  いや、それは言い訳かもしれない。事実ではあるがそれだけではない。
  シャロンだって一応女の端くれである。綺麗で可愛らしい物は勿論好きだ。けれども身に付けたいかと聞かれれば、首を縦に振ることは出来ない。
  違う、そうじゃない。自信が無いのだ。自分がもっと可愛かったら、そういうものも気兼ねなく買えたかも知れない。
しかしシャロンは流行と言うものに、辟易していた。
  正式には社交界デビューしていないが、それでも内輪の催しには出席しているシャロンである。それでもあれほど着る物には、気を使ってもらった。
「よくお似合いですね」とメリッサやキーツ夫人等にも言って貰い、出かけたことは何度もある。

  そこで分かったのは、自分はどんな事をしてもらっても駄目だということだ。内輪の催しでも、緊張してうまく話せない。まともに表情を取り繕えているようにも思えない。それなのにシャロンをよく見せようと、様々な人がシャロンのために色々やってくれる。

  シャロンはそんな人々の思いに応えられない。どんなに紳士録を読んでも、即座に人の名前が出てこない。ダンスも相手の足を踏みそうになってしまう。礼儀作法に関する本を読んでも、うまく出来ているか自信が無い。大きく挙げればこのくらいだろうか。
  勿論予習も復習も欠かしたことが無い。家での練習なら完璧ではないが、一応招待されてもいい程度にまでは仕上がっている。
  けれどもいざ本番となると、頭が真っ白になってしまう。そのためうまく対応できないのだ。何時もそうだ。そんな自分がどんな物を着たって、よく見られるわけが無い。

  元々器量も良くなく、家のために何も出来ない自分。そんな自分がこんないい物を身につけること自体が、間違っているのではないか。シャロンはいつの間にか、そう思うようになった。そのためどんな物を着ていても、気が晴れるということは無い。むしろ葛藤が生まれるばかりである。

  それにどんなに良い物を着たとしても、それは人を引き立てるものでしかないのだ。良い服というのは、その人が確固たる物を持っているからこそ、よく見えるものである。
  それは外見でも知性でも何でもいい。自分というものがしっかりしている人は、それが気品となって滲み出る。シャロンはそれが幼いころから骨身に沁みていた。そして自分には武器という物が無いことはよく分かっていた。

  けれどけれども、自分で稼いだお金ならば、綺麗な可愛らしい物を買ってもいいのではないか。そんな思いがシャロンの心を過ぎる。そういった物を、綺麗な物を見ている事自体は好きだ。

  ただそれを、身につける自信が無いだけであって……

「折角来たんだから、もっと可愛い物買いなさいよ!  最初も思ったけど、今着てる服だって一昔前の意匠デザインじゃない」
「だってこれ、おかあ、母さんのお下がりだし」

  シャロンがキャナダイン夫妻にご厄介になる時にトランクへ詰めた服は、母リリスが14歳から15歳程の頃に着ていた物だ。理由を挙げるならば、最先端の物は――労働者階級が最先端のものを身につけることはもちろんあり得ないが――布地が一級品の物しかなかったためと言える。
  リリスは――理由は分からないが――よく服を汚したらしく、今着ている物は、比較的安価で買えた物らしい。とはいっても労働者階級から見ると、今でも晴れ着として十分のものらしいが。

「まぁ確かに?  布地はいいわよね、やっぱり洋品店だといい物は手に入りそうだし」

  だがシャロンのそんな懸念も『経歴』の所為で、上手く機能しているようだ。まさかそこまで考えて、青年は『経歴』を書いたのだろうか?  まさか……

「折角物はいいんだから、それを活かして作り直しましょうよ!  そうよ、それがいいわ。黒は地味だけど、シャナには似合うし」
「私、黒が似合うの?」

  自分に黒が似合うなんて、初めて言われた。いや……こういう何が自分に合うなんて話は、今までしなかった気がする。シャロンにしては砕けた口調に噛みそうになりながらも、ケイティに尋ねる。

「私は似合うと思うわよ?  シャナは肌が真っ白で目もすっごぉく色が薄いし、髪の色も落ち着いている色だし、黒だと体の色に映えるわ」
「そうなの?」
「あ〜ほんと、自分の事なのに何も分かってないんだから!  ちょっとこっち来なさい」
ケイティは近くに居た店員に何か言うと、シャロンを試着室に連れてきた。
「入って」
「えっ?」
「いいから、さっさと入りなさいってば」

  言われるがまま試着室に入る。シャロンの場合、家に洋品店から店員が来てくれるため、こんな体験も初めてだ。
ケイティはシャロンが買った布を取り上げ、シャロンの顔に布をこれでもかと近づけた。

「ほら、やっぱり言ったとおりじゃない」

  ふと目線が、目の前の鏡を捉えた。目の前の黒と、自分を比べる。最近血色が良くなりつつある肌は、こうしてみると何時も以上に白く、健康的だった。
  そしてごく薄くぼんやりとした印象を与える緑の目も、色がはっきりして随分綺麗に見える。やや赤みのある濃いめの茶色い髪も、何時も以上に明るかった。
  こうして自分を観察すると、何時もよりもまともに見られた。まさか色でここまで変わるとは……

「どう、いいでしょ?」
「わたし、こんな風に自分を見たこと無かったの」
「流行は知ってるのに、自分の事にはてんで興味が無いんだから、それで何作る気だった訳?」
「膝当てをちょっと」
「まぁ確かに必要だけども、もう少しおしゃれにも気を配りなさいよね」
「……そうね」

  その後シャロンはケイティと一緒に、必要な物以外にも自分に似合うリボンを買い、洋品店を後にした。今はパブリックハウスで、紅茶を飲んでいるところだ。
  まだ帰るには早いということになり、紅茶でも飲もうとなったわけである。
  紅茶が運ばれてくる。今まで飲んだ紅茶よりも質は悪いはずなのに、随分美味しく感じられた。ほっと一息吐く。

「少しは落ち着いた?」
「えっ」
「今日はなんか、いつも以上にぼんやりしてたけど」

  ケイティにそう言われる。そんなに普段からぼんやりしていると思われているのだろうか?  掃除中は考え事しかしていないはずだ。今日は青年のことに関して動揺はしたが。

「私何か変だった?」
「元々あんまり喋らないけど、今日は特に話さないし、話しかけても中々返事しなかったし」
「ごめんなさい、気づかなくて」
「今日はいつも以上に熱心だって皆言ってたから、気にしなくていいと思うけどねーセルマさんは、ちょっと恐かったけど」
「帰ったらセルマさんに謝らないと」
「いいっていいって、ホームシックじゃないといいけどって、思ってるだけみたいだし」
「ホームシック……」

  シャロンはその言葉を聞き、望郷の念に捉われていない自分に困惑した。
「時々いるらしいのよねー王都に出てきたのはいいけど、思った以上の文化の違いに驚いて、ホームシックにかかっちゃう子」
  やはりメイドにも、色々な子がいるらしい。分かっていたことだが、そういう具体的な話を聞くと尚更に思う。
「まっ、シャナはそういうタイプじゃなさそうだけど」

そんなに分かりやすいのかしら……シャロンは今まで言われたことのない、ケイティの言葉に驚いた。

「シャナ全然家の話しないし、むしろ避けてる感じだし」
  素性が発覚してはいけないと思い、あまり喋らなかったことが逆効果だったようだ。
「で、本当の悩みは何?  気になる人がいるとか?」

  当たってはいる――当たってはいる。シャロンは今日から青年のことが気がかりで仕方が無い。しかしケイティは、そういう意味で言っているのではないと分かっている。
  気になる人というのはそういう意味じゃない。もっと淡くて、甘く切ない思いを抱いているのかと言いたいのだろう。

「黙ってるということは図星なわけ?」
「い、いや、そういう訳ではないのですけど」

  普段の話し方が出てしまった。ケイティは敬語を使われるのを嫌がる。なんだか距離を置かれている気がして嫌らしい。青年にも、シャロンの話し方は労働者階級らしくないと指摘されはしたが……
  敬語を指摘されたときは、家の仕事を手伝っていたときの癖が抜けない。そう言っておけと、青年からご丁寧にも指示を頂いた事を思い出した。

「もう、そんなに固くなることないじゃない!」
「そういうわけじゃ……それより、ケイティはどうなの?  気になる人はいないの?」
「気になる?」
シャロンはその言葉に頷いた。

「秘密に決まってるじゃない!」
  なるほど、困ったときはそう答えればいいのね……一つ学習したシャロンであった。





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