第一部  階下での生活03


  シャロンがメイドとなって、一ヶ月が過ぎた。今日も何とか、5時半前にシャロンは起きる。思わず欠伸が出そうになる。けれどもそれを何とか噛み殺した。
  そして、毛布を被ったまま、付け毛をつける。最初は慣れなかったものの、今ではお手の物だ。しっかり付けたことを、手の感覚や鏡で確認する。それが終わると半分寝ぼけながらも、制服に着替え始める。
  すると隣で、衣擦れの音が聞こえた。ケイティである。

「シャナ起きるのはやーい」
  ケイティは体を半分だけ起き上がらせ、目をこすりながら言った。シャナというのは、シャロンのメイドとしての名である。念のために、名前を変えてあるのだ。しかし外見は眼鏡を外しただけなので、殆ど変わっていない。

  シャロンは外見も変えたほうがいいと思った。なので雇用契約所に行った時に身に着けていた、赤毛の鬘をしたほうがいいのではと青年に提案した。
  しかし外れたらどうするんだ?  と言われ、地毛を同じ色の付け毛になったのだった。付け毛の方が不快感もないし、付けている感覚もないので、確かに安全なのかもしれなかった。

「今日は何とか起きれただけよ、まだ5時30分だから気にしなくても……」
「うーん、二度寝したいけど時間が無いしねー着替えるだけ着替えちゃおう」

  お互いに着替えが終わると、服の乱れを確認し合った。それが終わる頃には、本調子とはいえないものの、目が覚めてきた。これで会議(ミーティングで何かを聞き漏らすことはなさそうだ。
  会議(ミーティングで今日の仕事を確認し、挨拶をしてからメイドとしての一日が始まる。

  ちゃんと話を聞いて、今日もしっかり仕事をこなしましょう!

  シャロンは自分自身にそう言い聞かせて、使用人ホールにケイティと共に入って行った。
  使用人ホールには、まだ数人しか集まっていなかった。それを確認し、シャロンはホッと胸をなで下ろす。しかしそれを億尾にも出さず、いつも並んでいる最後尾についた。ケイティも並んでつく。
  シャロンは新しく入ってきたメイドであるというのに、早朝に起きる事にはまだ慣れない。

  もっと早く起きられるようにしないといけないわね……

  屋敷の使用人は、上級使用人は勿論、同じ職でさえ、その役割や上下関係がしっかりしている。仕事自体が差分化され、その地位によって同じ職でも役割が変わるのだ。
  ちなみにこのお屋敷では、ハウスメイドの役職は五段階もある。

  シャロンは勿論、ハウスメイドの中でも一番下の役職である。他の使用人――先輩方から目を付けられることは、出来る限りしたくない。これはシャロンの『素性』の問題ではない。シャロン自身の考えである。
  皆の様子をさり気無く観察する。すると、何処か落ち着かない……そわそわした雰囲気を感じた。

  今日何か変わったことがあったかしら?

  ケイティに視線だけで疑問を伝えると、ケイティが耳打ちしてきた。
「多分、今日はフットマンが入ってくる日よ」
  そう言えば前、チラッと聞いた気がする。

  けれどもフットマンが、シャロンより遅く入ってきても、別にシャロンが偉くなるわけでも、仕事上関わる事があるわけでもない。
  フットマン自体が、ハウスメイドよりも地位が高いのだ。シャロンにとって、誰が入ってこようが関係ないのである。
  シャロンが気にしなければならないことは、素性が発覚することを避ける事。そして命を狙われている現状を、なんとか打破しなければ……

  全員集まり、時間も会議(ミーティングの開始時刻になった。
  執事(バトラーのラッセルズ氏と、家政婦(ハウスキーパーのマレット夫人が、今日の予定の連絡や注意事項の確認をしていく。
  だが今日は案の定、それで終わらなかった。家政婦(ハウスキーパーのマレット夫人が、口を開く。
「皆さん知っているかもしれませんが、今日から新しくフットマンをやってくれる方が、来てくれています。本格的な仕事は明日からになりますが、今紹介をします。入ってきてください」

「失礼します」と声の主が入室した。
  目の前に沢山人がいるため、シャロンにはその人物がよく見えなかった。
チラリと見えた印象では、フットマンにしては小柄で茶髪の、なんだが憎めない――純朴そうで、悪いことなど出来そうに無い人物だと思った。
  きっとその雰囲気で採用が決まったのだろう。こういうものはどう努力しても、身に着けられるものではない。これも一種の才能だとシャロンは思った。

  彼は声を震わせながらも、こう言った。
「今日からお世話になることになりました。ウィリアム=ブレットです。不慣れなところもあると思いますが、よ、よろしくお願いします」
  そう彼は頭を下げると、皆拍手をした。勿論シャロンもだ。皆の様子を伺うと、彼は受け入れて貰えたようだ。
これから大変だろうが、彼ならきっとやって行けるだろう。
「では皆さん、今日もよろしくお願いします」
マレット夫人がそう声を掛け「よろしくお願いします!」そう使用人一同が返し、今日も業務が始まった。

  今日も勿論、玄関からの掃除である。
早めに行って、すぐに終わらせてしまおう。そう決意し廊下に出て、玄関に向かう。

  その時――

「しっかり玄関磨けよ、今日は遅れんじゃねーぞ?」
  聞きなれてしまった『あの声』が聞こえた。
ハッと首を捻り見上げると、今日からフットマンとして働くことになった、ウィリアム=ブレットが居た。
「えっ?」
  小声だが、思わず声が漏れてしまった。これではいけない。その声が聞こえたのだろうか?  『ウィリアム=ブレット』は、あの見慣れたニヤニヤとした笑みを、シャロンにだけ見えるように向けた。
「っ!」
  間違いない、間違えようがない。あれは、あの人は『青年』だ。
  シャロンをここまで動揺させる人は彼しかいない。
  まさか、こんな事まで出来るなんて思いもよらなかった。
  どうして、こんなことをしたのだろう。
  キャナダイン夫人の家にいた時は、全くシャロンの傍に居なかった。
  それ処か、一言もなく放っておかれたのに!
  護衛らしい事なんて何一つしなかったのに!!

  一体彼は何がしたいのかしら?

  シャロンは思わぬ衝撃を受け、胸が怒りと困惑と疑問で一杯になった。

  もう、そのことしか考えられそうになかった。





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