第一部  階下での生活02


  玄関等の人目に付く箇所の掃除が終わると、使用人専用のホールで朝食を摂った。それが終わると、再び掃除だ。次にやるのは、雇い主一家の部屋がある二階である。
  ここが一番、注意を払わなければならない場所かもしれない。

  どうしてかというと基本的にメイドは、この屋敷に居ない者として振舞う必要があるからだ。歴史が長い家であればあるほど、その傾向は強い気がする。
  メイドのような下級の使用人は、雇い主であっても姿を人前に現すことを由とはされない。なぜなら労働者階級が近くに居ること自体が、気に食わない。そう言ってしまう主人達もいるのである。

  働くことは優雅じゃない。働くのは卑しい身分の者達だけ。この考えのためか、商人から上流階級に進出してきた郷紳(ジェントリのことも、水面下では嫌っている生粋の貴族達もいる。
  流石にこのフラムスティート家――アイゼフェロー侯爵は、候爵位であるにも関わらず、鉱山開発などに積極的なためか、そういう偏見は無いようではある。

  けれども客人には、そうで無い考えの方はやはり居るのが現状だ。

  しかし使用人が居なければ、この生活は維持できない。そのような理由で、メイドは存在はしても、姿は見せてはいけない。――妖精のように振舞うように――そういわれることもある程だ。
  そのため、その一家がこの階に戻るまでには、綺麗にしておかなくてはならない。
  これも一種の訓練のような物だ。

  寝室のベットメイキングや掃き掃除、浴室の掃除等を終えると、昼食が待っている。昼食は使用人たちにとって、一番豪華になる食事――つまりディナーである。
  ハウスメイドの他にも、パーラーメイドやフットマン等と一緒に摂る。この屋敷ではやはり、上級使用人は別に食事を摂るようだ。執事や家政婦等の姿はない。
  シャロンの家では執事や家政婦も、週の半分は一緒に食事を摂っていた。それも今は亡き母、リリスが決めたことのようだが……
  感傷に浸ってはいけない。そう自分に言い聞かせ食事を口に運ぶ。すると不意に、ある声が飛び込んできた。

「そういや、また新しく雇い入れるらしいぜ」
  シャロンはその声の主が、フットマンのクリフだと気づいた。彼の物言いは荒く、シャロンにとっては耳障りが良くない物だった。

「アンタ、また盗み聞き?」
  そう言ったのは、シャロンと同じハウスメイドのメーヴィスだ。冴えた金髪とアイスブルーの瞳が印象的な美女である。シャロンより二〜三歳ほどは年上だろうか。
  美人なのでハウスメイドよりも、客人の給仕等を担当するパーラーメイドの方が似合いそうだ。

「盗み聞きじゃない、偶然聞こえたんだ」
  ふてくされたようにクリフは言うが、誰も気に留めない。
「それを盗み聞きって言うんじゃないの」今の発言はケイティだ。
「昨日の午後マレットの婆さんが奥様と、フットマンを増やすって話してるのを聞いてさ」
  マレットの婆さんというのは、家政婦のマレット夫人の事である。

「それじゃあ、私たちの誰かが異動になるかもしれないって事!?」
パーラーメイドのジェシーが、慌てたように言う。
「男の使用人を増やしたいんじゃないの?  シーズン中だし……」
メーヴィスが窘める。
「奥様は公爵家の出身だし、対面を気にする方だからな」
  シャロンはその会話に何か引っかかる物を感じながらも、朝食を終わらせた。

  午後は裁縫だ。解れた物を直すのである。
  午後はその曜日によってやることが変わるが、今日は裁縫の日である。ハウスメイドが一か所に集まって、ゴシップに花を咲かせるのだ。
  話の内容は雇い主家族のことや、最近の流行についてが多い。勿論、それ以外の話のこともあるが……
  シャロンは裁縫自体は嫌いではない。けれども、得意と言う訳ではない。シーツのほつれと格闘していると、不意に誰かの声が聞こえてきた。

「クリフのいってた話、どう思う?」
やはり皆、気になることは一緒らしい。
「あいつそういう噂、嗅ぎ付けんの上手いのよね〜」
「記者になればいいのに」
「探偵とか?」
「あいつには無理よ、そそっかしいし」
「言えてる」
「ちょっと褒めると、すぐ調子に乗るしねー」

  雇い主である侯爵一家が知人宅に訪問しているため、皆言いたい放題である。先程から言葉に棘と言うより、暗器を忍ばせていると言ったほうが良い具合に。

  裁縫の時間は、日ごろの苛立ちを晴らすのにうってつけらしい。
  メイド頭のセルマも居るが、咎めるような表情はするものの、口頭で注意をすることは無かった。きっと、皆の心情を理解しているのだろう。
  シャロンは新入りのため、出来るだけ息を潜めつつ、会話に聞き入りながらも、手を動かすことに専念することにした。

「まぁでも、奥様の性格からするとあり得るかもね、ほら気位が高くていらっしゃるから」
「普通に古臭いからって言えば?」
「公爵家の出だし、社交でこっちブリュネベルに居る間だけでも、よく見せたいんじゃない?」
「それはあるかも」
「じゃあアイゼフェローから、使用人連れて来ればよかったじゃない、こっちに来たいって人絶対居るでしょ、留守番させてるわけ?」
「訛りが嫌なんですってよ」
「はぁ、それ本気で思ってんの?」
「いや、私奥様じゃないし」
「まぁ、こっちの出身らしいし、仕方ないんじゃない」
「誰が言ってたか忘れたけど、王家の血を引いてるらしいわよ」
「まぁ公爵家の出だしね」
「仕方ないわね」

  シャロンはその会話を聴いて、皆随分詳しいものだと思った。
  基本的にメイドは、一年同じお屋敷で勤めれば契約は終わる。長くその一家に仕えるのは、一部の上級使用人だけだ。

  基本的にメイドが仕事を続ける場合は、紹介状を書いてもらうことになる。今までの経験を活かし、他のお屋敷に今までよりも良い待遇を求めて、転職するのが殆どだ。
  まだ一年も半分程しか経っていないのに、こんなに雇い主一家――と言っても、侯爵夫人の話ばかりだったが――の事を知っているとは……
  シャロンは思わず感心してしまった。数瞬、自分の事もメイド達――使用人たちに観察されているのだろうか……という考えが浮かんだが、慌ててかき消す。

「皆さん、随分お詳しいんですね」
  しまったと思った時には、思ったことが口を吐いていた。
  目立つことは良くない事なのに、何という事をしてしまったのだろう。青年にこの事が発覚したら、拙いのではないか……
  青年の冷たいような呆れたような表情が、脳裏に浮かんだ。シャロンは何とかそれを霧散させることが出来た。
「まぁ、私達結構長いしね、三年くらいにはなるんじゃない?」
  そう言ったのは、メーヴィスだ。ハウスメイドの誰もが、何も気にする様子では無いことにシャロンは安堵した。メーヴィスに続き、他の先輩ハウスメイドたちも、口々にいい始めた。

「本当はショップ定員が良かったんだけどね」
「工場は親がうるさいのよ」
「あら、パム、アンタの家意外に古臭いんだ」
「奥様には負けるわよ」
  その言葉に、どっと笑い声が響いた。どうやら奥様の出自を笑うのが、お決まりのようだ。やはり居心地の悪いものを感じる。

「私フィロハの出だから、働き口が炭鉱ばっかりで、他の働き口すぐ埋まっちゃうのよ」
「まぁ、ここはフィロハからの子多いんじゃない?」
「親も地元の領主様の所だと、特に安心するから」
「そういう所あるわよね」
  シャロンにはあまりよく分からなかったが、そういうものらしい。
  どうせ同じ都会に働くのなら、少しでも親しみのあるお屋敷に勤めたいと思うことは、ごく当然のことなのかもしれない。

「奥様は気難しいけど、旦那様は気前いいしね」
「そうね、ご飯が美味しいのは大きいわ」
「偶に、パーティーも開けるし」
「まっ、新入りが変な奴じゃないことだけを祈ってるわ、これ以上変な奴が増えるの困るし」
「そうね」

  シャロンはその意味深な発言が気になった。しかし、これ以上目立つのはいけない。そう戒め、これ以上自分から話すのは控えた。

  午後も何とか終わり、夕食を食べ終えたシャロンは今、自分に与えられた寝台の中である。生活自体はとても大変でありながら、充実しているとはいえ、慣れない生活だ。
  当たり前だが、とても疲れる。
  自分の正体が――素性と言ったほうがいいだろうか――発覚してしまわないか。それを思うたびに、神経に負担が掛かってしまう。
  体力が元々無く、人から使われる階級でないシャロンである。すぐに休みたいと思うのは当然だろう。

  しかし眠れない理由があった。
  シャロンはそっと自分の持ち物が入っている、古びたトランクを開ける。そう、レスチャーから貰った本と『真理の鍵』のような物である。
  あの一連の騒動の所為で、質問する事が頭から抜け落ちていて、そのまま、何の気なしに持ってきてしまった。
  持っていかなかったら、またキャナダイン夫妻の家にいたときのように、何処からとも無く、現れてしまうのではないか。そのような心配もあったことは確かだ。
  あの時は誰にも見られなかったからいいが、今は同室のケイティも居る。
  それに真昼に大勢の同僚達の前で、この本がシャロンの許に降ってきたらと思うと、恐怖でしかなかった。

  けれどもこの二冊の本が、シャロンに何かしらの切っ掛けを与えてくれるのではないか。そう思うのだが、どうしていいのか分からない。
  特に『真理の鍵』は、キャナダイン夫妻の屋敷にいたシャロンを『追いかけて』まで来たのだ。この本が手元にあること自体が不安の種ではある。
  けど他の人に任せてしまうのは、やはり良くないのではないか。最初は手元に置いてある事が不安だったが、誰かが巻き込まれるほうがよほど身に堪える。

  彼なのか彼女なのか分からないが、この騒動の元凶はこの本だと確定していると言っても良い。
  何かしら、解決の糸口を知りたい……
  青年はこの本には『意思』があると言っていた。それが本当なら、シャロンがこのような破目になってしまった理由も、教えて欲しいくらいなのだが。

「あなたは何を知っているの?」
シャロンはそう小声で呟いた。そしてこの生活になってから親しくなりつつある、深い眠りに就いた。





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