第一部  始まった決断01


  シャロンは青年と共に、裏通りを歩いていた。
  馬車一台がやっと通れるほどの、石畳が敷かれた道は、圧迫感を感じる。
  先程青年と簡単に取り決めをしたわけだが、シャロンの中には再び別の不安が押し寄せてきていた。そんな自分が嫌になるが、用心するに越したことは無いとも思う、思いたい。

  シャロンの懸念は――青年がシャロンとの約束事を守ってくれるか――それに尽きる。
  青年ならば、シャロンなんですぐに殺せるはず。だというのに、何故このような回りくどいことをするのだろう。
  自分で了承しておいてなんだが、今ではそういう疑問がシャロンの中を渦巻いていた。それにどうやって彼の名前を当てるのか。

  今のところ何の手がかりも無い。

  殺されたくは無い、彼が味方になったら敵の人数が減るという考え――細かい理由もあるが、ただのこじ付け――だけで、青年の提案に了承してしまった。
  そのことが、果たして良かったのか、悪かったのか。考えても考えても、分からないシャロンだった。

  先程から無言で歩いている青年を覗き見る。しかしそれで、青年が何を考えているのか分かるわけでもない。
  彼と目が合った。彼は視線だけで、シャロンにどうした?  と問いかけてきた。聞きたいことは沢山あるが、訊いても大丈夫だろうか?  青年を不愉快にさせないだろうか。
  そんな気がかりが胸を過ぎった。

「言いたい事あるんだろ?  言ってみろよ」
  言葉でそう促され、シャロンは安堵したような、それでいて胸の辺りが冷えていく感覚を味わった。彼にとって私は分かり易い人間なのだろうか?  今までは気づいて欲しいと願っても、ここまでシャロンの気持ちを言い当ててくれる人は、居なかったというのに……
  複雑な気持ちを抱えながらも、恐る恐るシャロンは、口を開くことにした。

「実は、色々と伺いたいことが出てきた物ですから……」
「なんだ?」
青年は前を向いたまま答えた。
「私が働いているときに、襲われたらどうなさるのですか?  働いているときに護衛してもらうことは出来ないのでは……」
  口に出した途端、騙されてしまったのではないかという憶測が脳裏を掠めた。
「あーそういやそうだな」
「今まで気づいていらっしゃらなかったのですかっ?」
「いやいや、そういうわけじゃねーから安心しろ。お前のことは覚えたから、何かあったらすぐに分かるし、心配すんな」
  それは何か起こらないと、分からないという意味では!?
  シャロンがそう問いかけるよりも前に、不意に彼の歩みが止まった。シャロンも止まる。意識して周囲に目をやると、そこは行き止まりだった。人の気配すらしない。
  青年がシャロンを見る。そして彼はシャロンの指先を自分の手のひらで包んだ。
  何故か違和感を感じさせない動作に、自分が当事者であることも忘れ、視線はただただ彼の手を追ってしまっていた。
  手袋と手袋越しだというのに、彼の手の冷たさが伝わる。
  今まで感じてきた手の冷たさと同じだということに、なぜか安堵しながらもシャロンは口を開いた。

「あ、あの……どうなさったんですか」
「飛ぶ」
あまりに簡潔な彼の一言に、意味を理解する前に面食らってしまった。
「目閉じろ、離すなよ」
「えっ、あ、あの」
  戸惑いながらも、なぜか言いつけどおりにシャロンは目を閉じる。
  辺りのざわめきを感じ、これは青年の移動手段だと――目を閉じた途端、閃く物があり――分かった。周囲が静まった数瞬の後のち、空気が変わったことに気づく。
  恐る恐る目を開けると、見たことのある景色が広がっていた。パデタル区だ。
  青年はシャロンの手を離す。すると慣れた様子で、歩き始めた。
  シャロンは慌てて後を追う。先程の路地裏とはうって変わって、馬車が二台は軽く通れる道だ。青年に着いて歩いていると、少女達に襲われる前に見かけた町並みに近づいていく。

  まさかと思いながらもシャロンは、歩を進める。すると案の定、青年はある貸し住居の一つに入っていく。そこには『スペルマン探偵事務所』という、看板が掛けてあった。
  シャロンは恐る恐る事務所の扉をノックし、「こんにちは」と声をかける。
  すると「どうぞお入り下さい」と、聞いたことある声が答えた。
  扉を開けると優しい音が響く。ふと音のする方――頭上を見ると、鈴が掛けられているのが分かった。扉を閉め、室内に視線を向けると、青年は革張りの椅子に腰掛けていた。
  その姿は妙に馴染んでいる。彼はシャロンの心情を知ってか知らずか「お茶!」と叫んでいた。

  もしやこれは……

「以前はお世話になりました。あの、お二人はお知り合いなのでしょうか」
「やっぱりあの人、何も言っていなかったんですね」

  レスチャーは淡々とそう言い「お茶で良いですか」と訊ねてきた。
「え、あ、はい、お願いします」
「お前もこっちに座れよ」
  青年がシャロンを手招きした。レスチャーに視線を向けると、目線で頷いていた。シャロンは「失礼します」と告げ、青年の向かいの席に腰掛ける。

  彼は何もない空間から、紙巻き煙草とマッチ、灰皿を取り出し、一服し始めた。しかし煙草特有の煙たさが、全く感じられない。

  不思議に思い彼を注視していると、ふと視線がかち合った。

「なんだ、お前もやるか」
「いえ、私煙草は……」
「そっちじゃねーよ、これ」
  青年は煙草が入っている箱を手に取り、消して見せた。シャロンは反射的に、煙草の箱の消えた空間を見つけてしまう。

「気になんだろ?」
「いえ、大丈夫です」
「教えてやっても良いぞ」
「教えて下さるには、何か条件があるのではないのですか?」
「そう言うのありか、じゃああの条件に俺の正体も入れるか」
「それでは割に合いません。私を困らせて何がしたいのですか」
「だって面白いし、じゃあどっちか当てたらってことで良い」
「はぁ、分かりました。それでいいですから、これ以上条件を変えることはお止めください。それより何故こちらに?  お二人はお知り合いだったのですか」
「後で色々お前に話が違うとか言われても困るからな、あいつとはまぁ、顔見知り見てーなもんだ」
「今も条件を変えたではありませんか……レスチャーさんに証人を頼むというわけですか?」
「だって、まだちゃんと決めてねーからいいだろ?  証人って言うほどそこまで堅苦しくは考えては無いけどな、誰か知ってる奴居たほうがいいだろ」

「お待たせしました」
  レスチャーが、お茶を持ってきてくれた。「ありがとうございます、頂きます」とお茶を頂く。
「すいません、今はメイドが一時的に居ないもので、僕が煎れたもので勘弁して下さい」
「逃げられたのか」
「そう言うんじゃありませんから」
「愛想尽かされたのか」

  レスチャーは何も言わず椅子に腰掛けた。丁度シャロンと青年を、横から見る位置だ。
「彼女は実家に帰っているんですよ」
「聞いてねーよ」
  レスチャーは青年を一瞥し、シャロンに問いかける。

「わざわざ来ていただきまして、ありがとうございます。今回はどういうご用件でしょう」
「こいつが俺の名前を当てることが出来なかったら、殺そうと思ってな」
  青年が話を切り出したことを、シャロンは意外に思った。
「……期限は貴方が彼を殺すまでですか」
「そう言うことだな」
「本気なんですね」
「……」

  この意味深な会話は、どう言うことなのだろう。
「期待してますから、何かあったらなんなりとご用命ください」
青年はお茶を一気に煽ると席を立つ。
「宿探してくる、待ってろ」
  シャロンの反応を待たずに、青年はそのまま事務所から出てしまった。鈴が物悲しい音を立てる。シャロンはぼうっと、その扉を魅入られたかのように見つめてしまった。

  なんだか私、間抜けだわ。
  自分が中心で事態が動いているはずなのに、この蚊帳の外に居るような感覚はなんだろうか。
  置き去りにされたような感覚がシャロンを襲う。

「心配なさらなくても大丈夫ですよ」
レスチャーが淡々と言う。シャロンはレスチャーの口調は、アシュトン夫人と似ていると思った。
「先程の会話はどういう事か教えて頂けませんか?」
「すいません、僕には言えないんです」
「そうですか……あの、色々とお伺いしたいことがあるのですが」
「僕に言える事なら」

  シャロンはその言葉に甘えることにした。こういう人でない人物に、頼っていいのだろうかという思いもある。シャロンは彼らのことをよく知らないし、襲われたり不穏なことを言われたりしているのだから。
  しかしだからこそ、そういうことを言うのに、危害を加えようとしない青年のことが気になる。彼には護衛してもらうことになっているのだ。もっと彼を知らなければいけないだろう。
  それにレスチャーにはそういうことをされては居ない。皆が皆、そういうことをする人たちじゃないと思いたかった。

  シャロンはこれまでの経緯を話した。
  青年との出会い――正体不明の少年から助けてくれ、シャロンの自宅まで送ってくれた――だというのに、シャロンの殺害宣言を起こした。
  それを知っているというのに、父親のアドルフが青年はそんなことをしないと言い切ったこと。キャナダイン夫妻の邸宅にまで連れて行かれて、なんの説明もなしに居なくなってしまったこと。
  少女達に襲われ、またまた助けてくれた。
  けれどもシャロンの護衛と命を狙うことを保留する条件として、シャロンが働き、青年の名前と正体を当てなければならなくなったことなど。大まかにではあるが、全てを話した。

  レスチャーは静かに相槌を打つことも無く、聴いていた。

「そうでしたか、それでは混乱しますね」
相変わらず、本当にそう思っているのか分からない口調である。
「私、何が本当で嘘なのか分からなくて……」
「僕から言えることはそうですね、彼をよく観察してくださいとだけ言っておきましょうか、そうすれば色々と見えてきます」
「観察、ですか」
「えぇ、僕達にも制限がありますから」
「制限……」
「僕達はこの世界の住人ではないですから、こちらにお邪魔するには制限があるんです、言える事にも」
「『期限』までに、当てられるでしょうか」
「大丈夫ですよ、『期限』を過ぎても、彼に貴女は殺せませんから」
「父もそうですが、何故そこまで断言できるのですか?  私は何回も宣言されましたのに……」
「それに気づければ全て分かりますよ」

  レスチャーは玄関に視線をやった。扉が開かれる。青年だった。
「待たせたな」
  シャロンが困惑しながら玄関に向かう。聴かれてしまっただろうか?  レスチャーに頭を下げ、戸を閉める。
「またいらして下さい、お待ちしておりますので」
  繊細な鈴の音が響く。その音は暫くの間シャロンの頭から離れなかった。





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