第一部  遅すぎる応酬03


「賭け、ですか」
「取引とか契約でも別にいいがな、まぁお前も分かってそうだから言うが、俺はお前を襲った奴を追ってる」
  やはり、アドルフの言ったことは正しかったようだ。あの時の彼の反応からは、只ならぬ物を感じた。浅からぬ因縁があるのは明白だ。
「俺はあいつの居所を突き止めないといけないわけだ」
「何故そのようなことを?」
  答えてはくれないだろうが、一応尋ねてみた。

「んー?  気に食わないからに決まってんだろ」
いや、そう言うことを訊きたかったわけではないのだが……まぁそれよりも取引のことだ、今は。
「でも今回、お前を狙っていることがほぼ確定したわけだ、目的は『鍵』だろうがな」
「はい」
「となると、俺が居所を突き止めても、お前を襲いに行ってる可能性もある。その時あいつに『鍵』を使われたら面倒なことになる。最悪俺もお前も殺される」

  『鍵』は、様々な世界の知識を有しているものだ。それこそ、悪用なんていくらでもできるのだろう。何に使われるか分かったものではない。
  『鍵』を手に入れられることは、やはり避けなければならない。そういう認識が共通であると、確認できたのはよかった。

「だから、俺にしてもお前の居場所が何処なのか分かった方がいい。お前は逃げ続けるつもりなんだろ?」
「そうなると思います」

  無関係な人を巻き込みたくないのは、今も変わりない。相手がどこに居るか分からない以上、今の現状では身を潜めながら、相手の様子を伺うしかないだろう。

「だったら、お前を護りながらあいつの居所を探した方が効率がいい、それにお前は身を守れる」
「確かに理屈を考えればそうですわ、ですが自分の命を狙っている人を信じられると思われますか?」
「だーかーらー言っただろ、取引だって。お前が個人的に俺を雇うって言うんなら、命は見逃してやってもいい。あくまで個人的にだぞ?  お前がおまえ自身の金で俺を雇うならってことだ。まぁ、それ以外にも条件は付けるけどな」

  今言ったことは本当だろうか。疑うのはよくないと思うが、どうしても疑念が湧いてしまう。
  それに此方ばかり割を食っている気がする。

「私個人でお金を払うのなら、それで見逃してくださいませんか?」
「俺はな、この世界の生き物じゃない。だから金は要らない。けどそれで、妥協してやってもいい。お前みたいな令嬢が働くって言うんなら、それを見るのも面白そうだしな。それともなんだ、犯されるほうがいいのか?」

  一瞬、何を言われたのか理解出来なかった。しかし彼の言葉を反芻するうちに、彼の言った意味が分かった。
  そしてそれと同時に、顔を中心に熱くなっていく。

「い、いきなり何を仰るんですか……」
  小声だが、何とか反論する。青年はシャロンの動揺など、どうでもいいようだ。どこからともなく、少女たちが持っていたようなヨーヨーを取り出し、遊び始めた。
  やはりシャロンは、彼に遊ばれるだけで終わってしまうのだろうか。

「どっすかなーうーん……名前にすっか」
  青年はヨーヨーを投げながら言った。
「名前がどうかいたしましたか?」
「名前、俺の名前当てろよ」
「私が」
「お前が」

  一瞬何を言われたか分からなかったため、間抜けな返しになってしまった。今の今までタイミングを逃し忘れていたが、シャロンは彼の名前すら知らないのだった。
  それが彼の得体の知れなさを、増長させている気がする。

「名前を当てたら、殺しはしない。どうだ?」
「でも、それでは……名前を呼べないのは不便です」
「そうか?  お前達はそんなに名前呼ばないだろ?」
「それは上流階級の場合です。それに、どういう場合でも名字は言いますし、名前もこういう環境では……」

  言いかけて気づいた。どうしてこんなに彼の名前を知るために理由を並べ立てようとしているのだろう。彼の言うとおりに、ミスターと呼ぶだけでもいいはずなのに。

  いや、違う。
  彼はシャロンが名前を尋ねたときに、名前は無いと言ったのだった。
  今の今まで他のことが衝撃的で、記憶の彼方に追いやられていたが。

「では、最初にお会いしたとき、名前が無いと仰ったのは嘘だったのですね。あの時から私個人に、話を持ちかける気でいらっしゃったんですか?」
「……覚えてたのか」
  彼は意外そうに言った。目も僅かに、普段よりも大きく開かれている。
「お前の好きに解釈しろ」

  ぶっきらぼうに彼は言った。ヨーヨーが勢いよく回る。彼は答えてくれる気はないらしい。彼の行動自体も気にはなる。
  けれども今は、青年が持ち出した話を続けなければ。上手くいけばシャロンの命を、狙わなくなってくれるのかもしれないのだから。

  青年が持ちかけた話の内容と、今の状況を纏めてみる。
  シャロンは今、少年と少女たち、そして青年に狙われている。
  少年と少女たちは、『鍵』を狙っている。
  少女たちは話の内容から察するに、少年に雇われたらしい。
  体をもらえるため、手伝ったと言っていた。
  青年はシャロン自身を狙っている。人殺しが趣味と言う理由で。
  これだけ聞くと、青年の方が危なく感じる。
  しかし少年たちが狙っているのは、全世界の全てを知ることが出来るという『鍵』だ。
  少年は何をしたいのは分かっていない。
  けれどもシャロンは襲われた事実に代わりはない。
  『鍵』をいいことに使うのなら、事情を説明してくれてもよさそうな物だと思う。
  再び会った時、彼らが『鍵』を何に使うのか、それが人の迷惑にならないような物なら、渡すこともやぶさかではない。

  しかし渡してしまうとなると、そこで青年との契約は終わってしまうだろう。
  青年がシャロンを護るといったのは、シャロンが少年に狙われているからだ。
  青年はあの少年を追っている。だからこそシャロンの傍に居ようとしている。
  シャロンが狙われなくなった時点で、青年はシャロンを不要な物と考えても可笑しくはない。
  それまでに彼の名前を当てないといけない。

  そう考えると、シャロンが出来ることは、一つしかない。

  出来るだけ時間を引き延ばし、少年がシャロンを襲った動機を調べ、青年の名前に関する手がかりを調べることだ。
  本当にこんなこと出来るのだろうか?  分からない。でも、こんなこと他の人には協力は頼めない。

  青年とは一応ではあるが、意思疎通が図はかれる。
  それどころかシャロンの内心を嫌と言うほど当ててくる。その割には、色々と抜けているところもあるが……
  加えて、アドルフの知り合いでもあるのだ。一応融通は利かせてくれると思いたい。
  単純に考えても、少年少女たちと青年三人に追われるより、少年少女たちに追われたほうが敵の数は減る。
  更に言ってしまえば、これ以上敵の数が増えないとも限らないのだ。
  少女達以外にも雇われて、襲ってくる者たちがいるかもしれない。
  シャロンはこの数瞬で、幾つもの理由を並べ立てた。
  自分が冷静だと確信を持ちたかったのだ。ふぅと息を吐き出す。
  分かっていた。しかし、認めたくなかっただけだ。

  こんなこと彼以外の誰にも頼めないということを

  それに理由が何であれ、シャロンを二回も助けてくれたことに変わりはない。シャロンは幾度も自分に言い聞かせた。

  大丈夫だと。
  今出来る最良の判断だと。
  何も可笑しくはない。
  私は正常だ。

  青年に視線を向ける。
  シャロンは意を決して、口を開く。
  もう後戻りは出来ない。

「そのお話、お受けします」

  青年はシャロンのその一言に、目を一瞬煌かせ――口角を上げた。





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