第一部  たゆたう心理戦02


  「あの化け物は、貴女のような知的で綺麗な女性が好物なのであります!」

  自分には縁遠い言葉に、困惑するしかないシャロンであった。私には何も当てはまらないのでは?  シャロンは本気でそう思っている。しかしジョージは、シャロンがそう考えているとは知らずに話を続ける。

「しかし彼らについては、貴女のような人間を喰らう等、基本的なことしか分かってないのであります!」

  そのなんというか……分からないことをそんなにハッキリ断言するのは――いかがなものなのかしら。しかしシャロンはそれよりも――ここで話をしていることが誰かに悟られないか――ということが心配だ。
  今の所、人が来る気配はない。それにそんなに大きな声で話しているわけでもない。しいて言うなら、彼の気分は高揚しているようだ。このまま声が大きくならない事を祈りたい。
  シャロンは人を押し留めるような事――人の行動を変えることは苦手だ。どちらかというと逆に言いくるめられることの方が多いくらいだ。青年への対応を思い返しながら、シャロンはそう思った。

「そのため貴女様に、彼らについてお教えいただきたいのであります」

  シャロンはその言葉で瞬時に頭を切り替え、彼に教えることで発生する危険性について考え始めた。けれどやはり何を判断するにしても、情報が足りない。彼について行って、シャロンが今の状況から助けてもらえるのか。彼を信用できるのかまだ分からない。
  良い事を言われることも怖いものだとシャロンは思った。

  またこの危険な綱渡りを行わなければいけないのね……

  ため息を飲み込み、シャロンは慣れない笑顔を張り付けて彼に向き直った。彼はシャロンの笑顔をみると、目を見開き後ずさった。シャロンはそれに安堵した。
  これ以上、話せば話すほど得体の知れない存在と話すのは、骨が折れるからだ。その反応が本心のように思えるだけでもほっとした。青年のような得体の知れない――知れば知るほど分からなくなる存在がこれ以上増えるのはお断りしたい。

  シャロンは少しでも警戒を悟られぬよう、意識して口を開いた。

「その化け物とは一体どんなものなんでしょう?  私はそのようなものを見かけたのか分からなくて……」

  彼はこの言葉に、どんな反応を見せてくれるのだろうか?シャロンはこんな状況下でも、僅かではあるが気持ちが高揚してきたことに気づいた。
  しかしそれには意識を留めないように、彼を見ていた。

「上官からの情報によりますと、貴女はその化け物に捕らわれているのではないのですか!?  貴女はその化け物をよく見ているはずでは?」

  やっと踏み込んだ質問ができそうかしら?  けど、どう答えようかしら。

  シャロンは数瞬、考えた後こう言った。

「私が捕らえられているなら、此処にお伺いなんて出来ないはずでは?」
「確かにそうです!  小生もそれが気になっているのであります。なぜあの化け物は『我らが尊い方』から貴女を奪ったというのに、今になって手放したのでしょうか?」

  これは聞き捨てならない話だわ。シャロンは手のひらに爪が食い込むほど、ぐっと自らの手を握った。

「あの……私、貴方の上官?  の方にお会いしたことがあるのですか?」

  上官ではなさそうな意味だったが、あえてシャロンはそう言った。

「はい、貴女を救出しようとしたおり、あの化け物に邪魔されたようです」
「申し訳ございません、私色々とあの時は混乱してしまっていて、よく覚えていないのです」シャロンはそう言うと、目を伏せた。

「いえいえあのような危険な目に遭えば、仕方のないことなのであります!  あの公爵の舞踏会で尊いお方が貴女の保護に乗り出したところを、あの化け物が自分の容貌で貴女を惑わし、我らから隠したのですから!」

  ……これで決定かしら?  シャロンは心臓がドクドクと音を立てているのを感じながら思った。

  舞踏会と言うことは、十中八九あの少年のことを指していると思う。舞踏会で他に襲われた心当たりなんてないのだから。あの少年に襲われそうなところに、『彼』はやってきた。尊いお方が少年なら、その後に来た青年が化け物ということかしら?
  そして容貌で惑わしたと彼は言った。青年は思わず目を見張るほど綺麗な人だ。喋ると色々と問題だが。

  どうしましょう……  個人的にはこの方自体は、悪い方ではないと思うのだけれど、あの少年は信じるに値しないのではないかしら。

  少年がシャロンを助けようとしている。と目の前の彼は思っている。けれど目的がどうであれ、青年に助けてもらったとシャロンは思っている。しかし青年はシャロンを殺すと言っている。そしてそれはほぼ事実――シャロンと青年を引き離すために、わざとそう思わせている可能性もある。
  けれどもそれは僅かな可能性だろう――と思った方が良さそうだ。

  本人も何度もそう言っている。そして目の前の彼すらそう思っている。少年のことについては謎が深まった。しかしながら、青年については収穫があった。
  青年は人を喰らう。彼らの種族は知的で美しい女性が好きらしい。そしてあの少年たちから、シャロンを一応守ってくれていたらしいと言うことが。
  シャロンは丸帽の彼の――色々と重要な情報に気を取られ、名前を忘れてしまった――我らから隠したという発言をそう解釈した。

  直接あの人に聞いたら、怒られるかしら?

  シャロンの脳裏に青年に質問している光景が浮かぶ。変なところで彼は正直だし、言いたくなかったら言わないだろうと思う。口では殺すと言っておきながら、幾度となく彼には助けてもらっている。
  でも目の前の彼は……シャロンは先ほどの話を思い返す。所属している組織の中でも、末端に属しているようだ。上層部では彼にあまり、正確な情報を渡していないようにも思う。シャロンは後一歩のところで殺されそうだった。あれを保護とは言わないだろう。

    本当なら質問をたくさんしたい。けれども根掘り葉掘り訊くと、こちらの思惑が判明してしまう可能性もある。
  シャロンに戦う技能はないし、人から話をうまく引き出すことも得意ではない。つまり身を守ることに関しては、素人だ。なのに危険な綱は渡れない。このあたりで御引き取り願おうかしら。

「ですから、あの化け物が貴女を取り返しにこないうちに、貴女を本部にお連れするのが一番なのであります!」

  彼はそう言うとシャロンの手首をつかみ、歩きだした。

  シャロンは抵抗したかった。たとえこの後丁重に扱われるにしても、襲ってきたあの少年には未だに恐怖を覚える。そんな所へ行きたくはなかった。しかし相手は軍人とおぼしき男性である。シャロンの力では、到底叶うはずもない。

  少年にされたことを言うべきだろうか?  シャロンの脳裏にその言葉が浮かぶ。

  しかし彼はシャロンと対面したときから、気分が高揚しているようだ。そしてシャロンを掴んで意思を確認しないまま、連れていこうしている。そこに自分の行動への自信が、現れているような気がした。その状態に少年のしたことを言ってしまえば、逆上して襲いかかってくるかもしれない。

  なにせ『尊いお方』とまで呼んでいるのだから。

  どうしましょう、助けを呼ぶべきよね?

  そう思ったがシャロンの体は、完全に固まってしまっているようだ。息が漏れ歯が鳴るばかりで、声なんて出そうにない。ルシールだったら、この彼なんて簡単に倒せるだろう。最悪やりすぎてしまうかもしれない。
  なのに声一つ上げられない自分が情けないし、もどかしい。殺そうとしていたわけではない。けれども肉親を殺した経験のある自分が、ただ引きずられるようにしているだけだなんて……

  これは正当防衛なのよ!  しっかりなさい!

  そう自分に言い聞かせるが、完全に恐怖に飲まれてしまっているようだ。あの少年にまた会うと思うだけで、全身が使い物にならなくなるなんて……益々自分が嫌いになりそうだ。

  シャロンは瞬く間に、与えられている一室の奥まで連れ出される。シャロンの手を掴んだまま彼は、その奥の窓を開けた。シャロンはそれが分かると、自分の体に微量の電流が走ったような感覚に陥る。そしてそこからざわざわと悪寒のような物も。
  シャロンは先ほどまで気持ちが不安定で、それは今も続いている。彼と話すことで、無理矢理精神を奮い立たせていた。つまり今までになく、心身ともに不調なのである。
  シャロンはなんとか今まで、悲観的な意見以外も無理矢理捻りだしていた。リリスを殺してしまってからと言うもの、自分に暗示をかけるように、気持ちを保っていた。

  生きて償わなければならない。
  死ぬ資格も悲しむ資格もないのだから。
  いつもお母様のように笑顔で居なければならない。

  しかしその自分を肯定する行為は、シャロンにとって一種の拷問でもある。シャロンはリリスを殺してからと言うもの、常日頃から罪悪感に苛まれているのだから。

  シャロンの死んでしまいたいという思い。それは伯爵令嬢に生まれてしまったシャロンが、考えてはいけないことだった。

  勿論シャロンは、自らの意志で伯爵令嬢になったわけではない。
  とはいえシャロンは、沢山の領民を守る立場である。だからこそ、今の生活をしているのだから。
  しかし肯定的な言葉を自らに掛けるほどの空元気は、底を尽いてしまった。

  一日でも、ほんの僅かでもいい。シャロンは猛烈に休息を欲していた。





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