いや、呆気にとられている場合ではない。男性の言った意味はどういうことなのか、話を訊かなければならない。シャロンは意を決して男性に向き直り、彼を観察した。
男性は、帽章とつばが付いている丸帽を被っていた。詰襟のサージ生地の上下を身につけている。とてもかっちりとした印象で、全身が黒地の服のため、金色の帽章や釦がよく目立つ。
まるで海外の陸軍下士官を思わせる服装だ。
青年も軍服を思わせる服を身につけていた。しかし青年にとてもよく似合っていた。特注品だと言われても納得してしまうほどに。それに外套が、そのような
そう――完全に軍服にしか見えないのだ。
背筋が寒くなる感覚を誤魔化せないまま、シャロンはジョージ=コーエンと名乗った彼に向きなおった。
「あの不躾ですが、私で間違いないのでしょうか? 私と貴方は初対面では?」
「はい、貴殿と本官は完全に初対面であります」
ビシッという音が聞こえそうなほど、しっかりと敬礼をして彼はそう言いきった。シャロンの困惑を完全に分かっていないようだ。それに気づかないまま、彼は話し始めた。
「しかし貴女様に間違いないのであります。小生が持たされた人相書きとそっくりなのであります」
彼は懐から便箋ほどの大きさの紙を、片手でシャロンの前に拳を突き出すように見せてきた。それはまるで、指名手配書を出す警官のようだ。確かに彼が突き出してきた用紙には、シャロンと思しき女性の顔が描かれている。
どう考えても、彼は軍人よね? 聞いたことのない組織の所属らしいけれども……
最低でも、警官に違いない。彼自身は警戒が必要な人物には思えない。しかしその威圧感や畏怖感を駆り立てる服装や、彼の所作からは――上に立ち、人々を取り締まる者たち特有の傲慢さ――が垣間見えた。
「どのようなご用件でしょうか?」
貴族の高慢さ――自分には殆ど無い要素だ――をありったけかき集め、シャロンは言った。
「私は貴女様の保護に参ったのであります! 私めは恐れ多くも、小生の上官の上官のそのまた上官の……と、とにかく凄い方に貴女様の保護という大任を、命じられたのであります」
彼はシャロンを真っ直ぐに見据え、両手を後ろに組み、足を肩幅に開いて話している。別に私はあなたの上官では無いのですけれど? そう言いたくなるほどのきびきびとした動きに、シャロンは気圧されていた。
彼と会話してから、少しの時間しか経っていないというのに、とても疲れを感じているシャロンである。この様子だと青年よりも会話が成り立たないと考えてよさそうだ。
「そうその時は突然にやってきたのでございます。あれは本官がある極秘任務を終えて、疲労困憊の体で帰還した時であります。死地から命からがら帰還した私に、基地への待機命令が出たのでございます。小生は何とか動いていた足を自分で折るかどうか迷いながらも、足を引きずり基地に帰還しました所、私の直属の上官モリー殿から、上官の上官から貴官に話があるようだと、聞かされたのでございます。
それを聞いた小生! 小生は驚きのあまり、体の疲れが飛んでいってしまい、足のことを忘れてしまったのであります。その時私の足の骨折が治ってしまい、基礎訓練が倍になってしまったのであります」
そのような話は聞いておりません。そう言わなかった自分を、珍しく褒めてあげたいとシャロンは思った。
「しかしめげない小生! 本官はめげないのであります! 私は帰還を果たし上官に相見えたために、奇跡の復活を遂げたのだと、述懐したのであります。その言葉に感激するモリー殿、小生はモリー殿と熱い抱擁を交わした後、上官の上官の許へ向かったのであります」
色々と指摘したほうがいいのか、流すべきなのか困惑するシャロンである。そんなシャロンの葛藤とは裏腹に、彼は話を続ける。
「そしてその後も、上官から上官に引き渡された小生! 本官は感動の余り気を失いそうになりながらも、この密命を承ったのであります」
やっと本題には入れそうだ。シャロンはそれに安堵した。
「その密命とは、一体何なのでしょう? 私にこのような訪問をなさったことと関係があるのですか?」
シャロンはルシールを思い浮かべながら、人畜無害で世間知らずの令嬢に見えるよう、のんびりとした様子で言った。
「勿論であります! 本官はレディ・ハミルトン、貴女の保護に参ったのであります」
「保護、ですか?」
「そうであります! 貴女はあの
「貴方の言う化け物とは、一体どういったものの事を仰っているのでしょうか」
シャロンを最初に狙った少年か、少年に依頼されて狙ってきた少女たちか。はたまた青年か。それか全員なのか。それでシャロンの取るべき行動が変わる。シャロンは彼の言葉を待った。
「それは奴しか居ないであります! あの人の皮を被った奴であります! あの化け物どもは、外見を良くすることで人間に取り入り、気に入った人間は頭の先からつま先まで余すことなく、喰らい尽くすのであります」
みんな外見はいいのよね……この話からは確証には至れないわ。シャロンの脳裏に、目の前の彼が言った残虐な光景が思い浮かぶ。
私もそれに食べられてしまうときが来るのかしら? しかし今、そのことについて考えるべきではない。
シャロンは彼に質問を続けることにした。敵か味方か判断が付かない以上、あまり具体的なことはいえない。そんな中で、どのくらい情報が得られるか不安ではある。しかし、やるしかないのである。
「貴方たちでも、その化け物は殺すことが難しいのですか?」
「奴らは様々な種族が居ますが、今回のやつは全にして一、一にして全、と言うような性質を持つような奴ららしいのであります」
……今の話も大変興味深いが、それどころではない。このまま話していても、具体的な話になりそうもない。少し踏み込んで見たほうがよさそうだ。
どう攻めようかしら?
「あの、私の事を守ってくださるのは大変有り難いと思いますわ、ですけど私を護って、貴方たちにいいことはありますの? 私は自分で用意できるものは、とても微々たるものなのですが……」
シャロンは――お金のことを口にするなんてはしたないわ――という、ごく一般的な令嬢の反応を装った。今まで意図してしたことのない、上目づかいをしながら。流石に目をぱちぱちさせることは、恥ずかしすぎて出来ない。鏡を見たことないの? と自分に笑われそうだ。
今の時点でも居たたまれないのだから。
シャロンのこの表情に対する態度で、どういう反応をするか。それで対応を見極めよう。
「えっ、あ、はい。それについては問題ないであります!」
彼は動揺を誤魔化すのように、ビシッとキレのある敬礼をして言った。
……この方、色々と大丈夫かしら?
想像以上に効果があったため、なんだか申し訳ない気持ちになってきてしまった。彼は女性に余り慣れていないのかもしれない。いやそうじゃない、まだ彼が敵なのか味方なのか、分かったわけではない。
もしかしたら、この言動も演技かもしれない。油断大敵である。シャロンは自分にそう言い聞かせた。
「何故そう言い切ることができるのですか? 私がその……貴方たちの組織に貢献出来るとは、とても思えませんわ」
慈善事業というわけでもなさそうですし、組織を運営するのは何かと入り用なのではありませんか? シャロンは意識して、首を傾げながらそう言った。
「し、心配ご無用であります! 貴女には情報提供をしてもらいたいと、上官が申しておりました!あと、よろしければ『鍵』の提供もして頂きたいとの仰せであります」
『鍵』? 彼は『鍵』と言ったの? 重要な情報が出たことに逸る気持ちを抑えながら、シャロンは訊ねる。
「私が貴方たちに有用な情報を持っているとは思えないですわ。それに鍵とは何のことでしょう? 私は自分の家の鍵を閉めたことすらありませんわよ」
シャロンはゆっくりと話しながら、相手の様子を伺う。
「貴女様は『鍵』についてご存じないと仰るのですか!?」
「はいそうですわ、鍵は
例え私が『鍵』を持っていたとしても、この反応はおかしいものではないはずだ。青年のことを信じるならば、『鍵』は余り知られているものではないようだ。そしてそれ以前に『本』の形をしているのだから、『本』だと思っているほうが自然だろう。
「いえ!こちらこそご丁寧な対応痛みいります! 話を変えさせていただいても、宜しいでしょうか? レディ・ハミルトン」
「えぇ、勿論ですわ」
「レディ・ハミルトンは『本』はお好きですか?」
直球にもほどがあるのでは?
シャロンはそう思ったが、おくびにも出すことはなかった。
「えぇ、恥ずかしながら本は好きですわ」
「本を持ち歩かれることは?」
こう訊ねると言うことは、彼には『鍵』の場所は分からないのかしら?
「ありますわ、ですけど今回は持ってこれなかったんですの」
「そうですか!そうなんですね!」
これでまた
「それで私が御協力できそうな情報提供とはなんなのでしょう?」
シャロンはにこやかにそう問いかけた。
「貴女を襲ったあの化け物についてであります!」
そろそろその化け物の正式名称は、何なのか教えてくださいませんか? シャロンは胸中でそう呟いた。