第一部  お嬢様の旅行04


  シャロンはルシールにしっかり――大丈夫だとは思うが念のため――口止めをし、ルシールに部屋に戻って寝るように促した。
  そしてその翌日。シャロンは侍女としての務めを果たすべく、エディスの許に向かっているところだ。こちらでの務めについて、シャロンはエディスから何も言われていない。
  けれども侍女はシャロン一人なのだから、エディスの許へ向かうべきだろう。昨日断られているが、今日はいいわと言われただけで金輪際関わるなと言われたわけではないのだから。

  シャロンはエディスが滞在している部屋へ行くと、ノックを三回繰り返し、来訪を伝える。

  「入りなさい」

  間があったものの、エディスからの反応があった。シャロンはそのことに安堵する。ここにいる間だけでも、侍女としての仕事が出来るといいのだが……
  シャロンは不躾にならないように、エディスを観察した。寝台の上にいるというのに、エディスは凛としていた。以前見たとおり化粧着を身につけている。  しかし疲れがでたのだろうか?  いつもよりも顔色が悪く見える。そうなると、少しでも顔色がよく見える服がいいだろう。

  「おはようございますお嬢様。昨夜はゆっくりお休みになられましたか?  お召し物はどういたしましょう」
  「あなたに任せるわ」

  すかさずそう返ってきた。きっとシャロンのファッションセンスを試そうとしているに違いない。シャロンは収納家具(クローゼットの中を検分することにした。

  普段エディスは余り赤系の服は着ない。あまり好きではないのだろうと思う。桃色(ピンク系なんて論外だ。差し色で入っていることはあるが、それが主体の服は身につけないはずだ。数回見た程度だが、甘めな雰囲気よりも洗練された雰囲気の方が好きなはずだ。
  しかしクローゼットの中には、桃色(ピンク系の服が数着入っていた。これは夫人の意向だろうか?  それともあえてエディスが指示して入れさせたのだろうか?  外出先ということで、何を着てもらうか悩むところだ。

  しかし余り時間もかけられない。

  今回は気の置けない友人に招待されてという状況だ。少しばかり形式にとらわれなくても平気だろう。けれども変な格好をさせるわけにもいかない。
  シャロンは菫色(すみれいろの散歩着と、淡いクリーム色の室内着を出した。菫色の方は生地よりも薄めの菫色や紺色のレースが、襟元や袖や裾を飾っていて、スカートの部分が段になっている。スカート部分は軽やかな素材で出来ているため、動くたびに揺れる様が楽しめそうだ。
  淡いクリーム色の方は袖や襟、そしてスカートの切り替え部分が白のレース生地になっており、清楚な雰囲気だ。そして切り替えの部分や裾に茶色のサテン生地が、まるで縁取りされているように縫い合わせられている。
  どちらも顔色をよく見せてくれるはずだ。

「こちらにするわ」

  エディスはそう言って、淡いクリーム色の方を指さした。シャロンの選んだものに、何かしら反応があるかと思った。しかしエディスから何も言われることもなく、表情も変えることも無かった。
  そのままシャロンは、エディスの着替えを手伝うことになる。エディスは女性の中では長身で、年齢の割に発育がいい。目の前で脱がれてしまうと、それが本当によく分かった。シャロンとそう年齢は変わらないはずだ。
  なのにこうも違うのかと思うと、色々複雑な心境に駆られる。

  シャロンは、この淡いクリーム色の散歩着がエディスをより一層魅力的に見せる様に、細かく確認を繰り返した。あまり派手に結うのもこの地にも着る服にもそぐわないと思う。そのため品よく髪を纏めることを意識した。

  エディスの着替えが終わった後、シャロンは一日中自由にしてていいと言われた。しかしシャロンの、髪の結い方については無反応だった。
  その様子から、何も気に障るようなことはしていないだろう。多分……そう思いたい。
  一日中自由にしていていいと言われても、着替えの手伝い等の、濃やかな仕事が無くなるわけではない。
  シャロンは、エディスとルシールが朝食を摂る部屋まで随行し、自分も朝食をとるための部屋へと向かった。
  今日の朝食でシャロンの印象に残ったのは、カリカリに焼かれたトーストと、採れたての卵を使ったスクランブルエッグだった。どれもこの辺りで採れた、新鮮なものを使っていると分かる味だった。他にもマフィンや果物などがあった。
  もちろん飲み物は紅茶だ。使用人が食べるにしては、十分豪華な食事である。

  新鮮な食材を使った、おいしい朝食に満足したシャロンは、泊まっている部屋に戻り、自分がどうするべきか考えた。

  自由にしていていいと言われていても、郊外の図書館や、レスチャーの探偵事務所に行けるわけではない。ここで出来ることと言えば、『鍵』を調べて見ることだろうか?  というかそのくらいしかできない。
  シャロンは重い腰を上げて、『鍵』の調査に乗り出すことにした。どう見ても、何回見ても、それは中身が書かれていない本でしかなかった。
  装丁もしっかりしているし、何も不審な点はない。中身が書かれていない点以外は。
  観察する以外に出来ることは何かないでしょうか?シャロンは今までの『鍵』について分かっていることを、紙に書いて、整理してみることにした。

  真理の鍵について

・鍵と呼ばれてはいるらしいが、形は本。
(実際に見たときはヴェルデクアやその周辺地域のことに関する本だった)
・色々なことを調べることが出来るらしい。
・本には意志がある
・悪魔の物らしい
・色々なことが調べられるが、それが出来るのは認められた人間だけ
・自らの意志で勝手に動く

  このくらいかしら?

  今のところ覚えているのはこのくらいである。本来なら、分かった時点で記しておくべきなのだろう。けれども話が突飛すぎて、その内容を咀嚼するだけで精一杯だったのだ。シャロンはそれを眺め暫くした後、一つ書き足した。

・鍵はロゼッツでの自宅(カントリーハウスの書庫で見つけたもの。

  シャロンは自分で記したそれを、食い入るように見つめ続けた。
  ……一番気になるのは、このことかもしれないわ。

  『真理の鍵』の存在をひとまず認めるにしても、なぜそんな得体の知れないものが、領地内の自宅(カントリーハウスで発見されたのか?  そしてアドルフがそれを知らなかったのは、なぜなのか。青年がシャロンのトランクから『鍵』を見つけた時のアドルフの反応は、「これがそうだとは……」と言うようなものだった。そして嘗めるように、本を験していた覚えがある。

  その言動を信じるならばアドルフは、『真理の鍵』の存在は知ってはいた。がしかし、自宅であるカントリーハウス(・・・・・・・・・・・・・に、それが存在していることには、気づいていなかったようだ。
  といっても、それ自体は不審なことではない。なぜなら『鍵』はどこからどう見ても、普通の本にしか見えないのだから。
  けれども『真理の鍵』は、あの書架に収まっていた。

  領主になる前に、すべての本にアドルフは目を通したらしい。そのアドルフが、『鍵』に気付かないとは考えにくい。書庫は男性の社交の場にもなる場所だ。今は社交シーズンのため多忙で、そんなに目を通していないようだ。だがそれにしても見知らぬ本があれば、違和感くらい覚えてもおかしくない。
  アドルフはロゼッツの領主である。そのため些細なことでも、警戒は怠らない。違和感を感じたら、信頼できる使用人に調べさせること位するはずだ。

  お父様は全く気付いていなかったのかしら?

  もしかしたら気付いていなかっただけで、シャロンが襲われる、ずっと前からあったのかもしれない。けれどもシャロンは『真理の鍵』を読んでいただけなのに、襲われている。『鍵』の正式な使い方を知らないのにだ。
  もっと前からあったなら、もう『真理の鍵』はあの書庫の中から持ち出されていても可笑しくない。なにせ悪魔であるレスチャーも、シャロンを襲った人物も、あの青年も、気配で『鍵』を察知していたのだから。

「貴女からは悪魔の気配がします」と、青年が人形だと言っていた女性から言われたことは、今でも忘れられない。

  社交で書庫を使うアドルフならば、シャロンよりも早めに気付いていても良さそうなものだ。そう考えると、アドルフがブリュネベルに行っており、シャロンがまだロゼッツに居たときに、書庫にきたと考えれば、辻褄は合いそうだ。

  だけれども、それだけだ。なぜ、ハミルトン家の書庫に現れたのか?それについては分からない。
  シャロンは再び、『鍵』について記した紙に目を通す。再び静寂が続き、ため息が静けさを破る。
  無意識に紙に目が入ったその時――シャロンの目に、ある一文がくっきり浮かぶように見えた。

  ・本には意志がある

  シャロンは思わず、その紙をぐしゃりと握りしめた。『鍵』に意志があるのなら、会話が出来るのでは?  そう思いシャロンは、コンコンと表紙をノックしてみた。……勿論返事はなかった。
  というより、シャロンはこんなに知りたいと思っている。その姿を間近で見ているはずなのだから、何かしら声をかけてくれても、良さそうなものである。
  自分で着いてきた癖に、この態度はおかしいのではないだろうか?

  「あの、こんにちは私の話を聞いていただけませんか?」

  小声でそう問いかけるが、やっぱり反応はなかった。

  どうすれば会話できるんでしょう?  ……声をかけるというのが駄目なのかしら?

  もしかしたら、本には耳がないのかもしれない。いや、意志があっても、どう見ても人間ではない。『鍵』といっても外見は本なのだから、本には本らしく対応するのが、いいのではないだろうか?

  本らしい会話をするって、一体どうすればいいのかしら?

  シャロンは『鍵』に手をかけ、パラパラとめくってみた。別に変わった様子はなく、何も記されてはいなかった。ただの空白だ。
  ……空白?  本なのに?  何も書いてない本なんて本なのかしら?
  本は読むためにある。読むことが出来ない本は、本当に本なのだろうか?  シャロンは再び『鍵』に手をかけ、パラパラとめくり続ける。真っ白な頁は、光を反射していない。
  それにも関わらず、目に眩しいほどの白さだった。

……なにかこんな物の見覚えがある気がするわ。

  シャロンの手に力が入る。パラパラとめくられる音に聞き入りながらも、シャロンは意識を巡らせる。ふとシャロンの手が止まった。いや、顔も固まったのが自分でも分かった。シャロンはその閃きのまま、その日記帳(・・・にペンを走らせた。





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