第一部  お嬢様の旅行03


  その表情には見覚えがあった。ルシールは天真爛漫でありながら、様々な人の本質を見抜いてきた。その観察眼はまさに、公爵家に連なる者である。

  シャロンはその目から、もう逃げられないことを悟った。ルシールは扉を閉めてから、真っ直ぐにこちらを見つめ、一言も発さない。
  真っ直ぐにこちらを射ぬくが、その目から、表情から、何かを察することをさせなかった。シャロンが事実をいうことだけを、ただひたすらに待っているのだろう。

「……ごめんなさい」

シャロンはそう謝ることしか出来なかった。

「どういうことなのかしら〜  わたくしがどれだけ心配したかと思っているの?」

  ルシールの目に感情が戻る。そこには強い意志が感じられる。しかし声音自体は相も変わらず、のんびりとしたままだった。
  シャロンは令嬢には不似合いな椅子を、寝台の前に持ってくる。そしてルシールに座るように促した。ルシールはすかさず座る。シャロン自身は、寝台を椅子代わりにして座った。

「おじいさまのお名前で、貴女と貴女のお父様を招待した舞踏会、覚えていますわよね」

  覚えていないわけがなかった。

「えぇ」
「あの時わたくしが挨拶しようと思ったら、貴女が体調を崩して、もう帰ったって伺ったんですの。その後もお見舞いに伺いたいとお手紙を出したのに、ハミルトン卿からのお手紙が届くばかりで、肝心の貴女からはなんの音沙汰もないんですもの。何回目かのお手紙で、貴女が感染病とブリュネベル特有の空気のせいで、合併症になって暫くは面会謝絶だと書かれているお手紙を見て、どれだけわたくしが心を痛めたのか、お分かりになって?」

  どうしてそのような話になっているか、こちらが訊きたいくらいである。しかしそれを訊ける雰囲気でないことは、分かりきっていることだった。

「貴女に会えないなら、わざわざ帰ってきた意味なんて無いわ、だって留学中にあった話ですとか、旅行中にあった話をあなたに話したくて、帰ってきたんですもの〜。今回は、エディスに貴女を紹介するつもりでしたのよ?」
「……」
「そんなわたくしの前に、貴女が侍女として現れたときに驚きといったら!  今まであんなに驚いたことは、なかったですわ〜。槍や鍬を持った原住民族に追いかけられたときも、あんなに驚くことはないですもの〜」

  このふわふわとした話し方からは、全く驚いているようには思えない。しかしルシールが驚いているといえば、驚いているのだ。

「ごめんなさい」
「別に謝ってほしい訳ではないんですのよ?  どうして貴女がこんな仕事をしているのか、伺ってもよろしいわよね。そしたらわたくしが、原住民族と象を撃ち倒した話や、エディスと一緒にキャバレーに行った話を訊かせて差し上げますわ。もしかして、ハミルトン卿に追い出されたと言うわけありませんわよね?」

  あの方なら、そのくらいしても驚きませんわ。

  ルシールはさらりとそう言った。……父は一体社交界では、どのような評判なのだろうか?  アドルフに対しての辛辣な意見に、そんな疑問が浮かぶ。
  だがルシールは、シャロンに質問を許すような雰囲気を作ることはなかった。ちらりと確認すると、にっこりとこちらを見つめている。
  シャロンは観念して、ルシールの顔を見ないようにしながら、今までのことを話し始めた。
  久しぶりに胸のつかえが取れた気がする。今までとは違い、ずっとそれが主張してくることはない。そうではあるが、不意に感じる胸の違和感。その意味がようやく分かった気がする。
  シャロンにとって、自分の命を守ることとはいえ、人々に自分を偽ること自体が、負担になっていたのだと思う。それが話すことによって軽くなった。自分の出自を偽ることは、相当負担だったようだ。
  しかしながらこの荒唐無稽な話を――たとえ様々な経験をしているからといって――ルシールが信じてくれるかどうかは別である。
  おそるおそる顔を上げる。するとルシールの顔が、何時もに増して輝いているのが分かった。

「ルル?」
「どうかして?」
「どうして、そんなに楽しそうなの?」
「あらだって、こんなに危険に満ちて面白そうなお話、なかなかありませんもの!  しかもシェリーには守ってくださる方が居るのでしょう?  素敵だわ」

  危険で面白そうまでは、あり得なくもないと思っていた。だがまさか、素敵とまでいわれるとは思っていなかった。

「でも私の行動は、褒められたものじゃないでしょう?  婚約者でもない方と二人きりで歩くだなんて、結婚できないかもしれないわ、注意されるかと思ったのに」
「緊急事態ですもの、仕方ないわ。そんな時に細かい事を言う方なんて私だったらお断りだわ。それにそこまで分かっているシェリーに、私からいうことなんてないわ。大丈夫よ、きっと何とかなるわ」

  ルシールは勝ち気にそう微笑んだ。

「でも本当にそんな不思議な力を持つものが、存在しているのね〜」
「えぇ、そうなの。私最初は自分の頭が、おかしくなってしまったんじゃないかと思ったわ」
「わたくしもそんな物をみたら、腰を抜かしてしまうかもしれなくてよ?」

  ルシールはそう言って、イタズラっぽく片目をつぶって見せた。しかしシャロンにはどうしても、その光景を想像することは出来なかった。わくわくしているルシールを、想像することは出来たが。

「でもルシールだったら、どんなことが起こっても笑っていられるでしょう?」
「あら?  そんなことありませんのよ」
「えっ」
「私がどんなことがあっても普段通りに見えるのは、一人じゃないからですもの。みんなが居るから笑っていられるんですのよ?  ですから不可解な出来事があったというのに、一人で立ち向かっているシェリーには、感服いたしますわ」
「でも、私、何もしていないわ、ただ彼に振り回されているわけだもの。彼に言われたことをやるだけで……逃げているだけじゃないかしら?」
「逃げることも立派な戦略の一つよ?  生き残るためには後先考えずに逃げることも必要ですもの〜」

ルシールはいつも通り穏やかだ。

「でもルシールだったら、きっと戦うでしょう?」
「わたくしは考えることが苦手だから、そうしているだけよ?  シェリーは考えることも嫌いじゃないし〜、それに今の立場で調べることは、難しいのではないんですの?」
「……」
「それにその道のプロが、貴女に働かせているんでしょう?  ならシェリーが気にする必要なんてないですわ」
「でも彼は、純粋な協力者じゃないわ」

「あら、みんな相手の為じゃなく、自分のために動くのよ?」

  相手のためだとしても、結局は自分が相手を失いたくはないと言う、ワガママのためだもの。

ルシールは静かにそう言った。

「でもハミルトン卿が、大丈夫だって仰ったんでしょう?  ハミルトン卿が娘を危険な人物に任せるとは思えないわ」
「このことに関しては私、お父様を信じられないの、お父様は家を出る前に大丈夫だと仰ったけども……その後も彼は、私を害する事を仄めかしてきたわ」
「そう、なら彼がシェリーにそんな事を言って来たら、わたくしに教えて?  わたくしが懲らしめてあげますわ」

  そんな状況にはならないだろうが、普段と変わらないルシールのその様子に、シャロンは少しだが安心した。
「それにシェリーを本当に害したいなら、もう行っているのではなくて?」
「やっぱりそう思う?」

  ここでルシールに相談出来てよかった。安心できるだけではなく――普通の令嬢にはない――ルシールだからこその視点に、心強さを感じる。

「えぇ、シェリーもそう思ったんでしょう?」
「えっとその、何を聞いても……遊ばれている気もするの。なんていうのかしら、いつも反応が変わっているのよ」
「そう……でも私としてはシェリーを襲ってきた少年の方が気になるわ〜  その男性はシェリーが目的だと仮定することは出来るけれども、少年の思惑が不透明なんですもの。鍵を狙っているのは分かったわ。けれども実際何をしたいのかは不明なわけだもの。どちらにしろシェリーにとって危険なのはその少年ね」
「やっぱり、ルルでもそう思うのね」
「えぇ、青年は最悪貴女でも殺せると思いますわ」
「何を言っているの?」
「彼は貴女のことを警戒していないと思うの。どうみてもシェリーは普通の令嬢だわ。貴女が彼の至近距離まで近づければ、チャンスはありますもの」

  ルシールはそのまま、どうやって青年を殺害すればいいのか、身振り手振りでレクチャーし始めた。……嬉々として人の殺し方を指導できる令嬢は、ルシールだけだ。いや、そうであってほしい。
  話を聞いている間、シャロンの脳裏にはそんな間抜けな言葉しか浮かんでこなかった。

「あとで私が旅行先で買ってきた、短剣をあげるわね」

  どこまでも普段通りなルシールに、シャロンは曖昧にほほ笑みを返した。





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