第一部  お嬢様の旅行02


  メリッサの動作を思い出しながら、シャロンはエディスを列車や馬車に案内する。何事もなく案内でき、シャロンは少しほっとした。この馬車から降りれば、目的地の別荘のはずである。
  別荘に着けば、少しは一息つけるだろうか。きっとエディスは友人と積もる話もあるだろう。その間は一人になれるに違いない。

  ムストゥディーとの境界近くに位置するオディギットは――ヴェルデクア国の地形には元々多いが――丘陵地帯であり、その地形を生かした麦の生産や家畜が主な産業だ。王都から近いこともあって、ヴェルデクア内の田園風景の主要なイメージを構築している州の一つでもある。
  シャロンの故郷のロゼッツも同じく、丘陵地帯がある。そのためか、オディギットと景色が酷似している。
  オディギットの田園風景を見ていると、シャロンは心が安らぐのを感じた。

  景色を眺めていると、青年に何も言わずに来てしまったことに気付いた。きっとエディスが別荘に招待されたことが分かれば、そこから察することは出来ると思う。けれども何も言わずに出てきたこと自体、褒められたものではない。選択肢が他になかったとはいえ、守ってもらう立場だというのに、この対応は失礼だ。
  彼にシャロンの常識が通じるかどうかは不安ではある。だが青年の感覚と、シャロンが無礼な事をしてしまったことについては、別の問題である。
  しかしどう考えても、使用人の間のやり取りで目立たないように、やり取りすることは難しいだろう。

  何かいい方法はないかしら?

  いつの間にか馬車の速度が緩やかになった。考え事をしているうちに随分と馬車は走っていたようだ。俯いていた顔を上げる。これは頂けない。仕事中に考え事なんて、あってはならないことだ。

  外に目を向けると、三階建てのゴシック調の屋敷に近づいているのが分かった。先端アーチ型の窓が印象的である。五人から六人程度は暮らせそうだ。
  その玄関の前の敷地には、花壇と菜園がある。小規模ではあるが、今が咲き時の花と旬の野菜が植わっている。その屋敷の奥には森が広がっていた。まるで屋敷を守っているような、存在感がある森である。
  森の奥にいけば、狩猟も出来るのかもしれない。

  そしてその玄関前には、ストロベリーブロンドの髪の女性、そしてその隣に栗毛の女性と、その後ろにメイドが三人ほど見えた。珍しいストロベリーブロンドの髪色を見たシャロンの脳裏に、同じ髪色の暫く会っていない友人の姿が浮かんだ。
  まだ距離があるため、女性二人の年齢を判断するの難しい。だがちらりと見た印象からは、ストロベリーブロンドの人物はエディスと年齢は同じくらいに見える。エディスの友人だろうか。そう考えると栗毛の女性は、この屋敷の使用人だと思われる。

  御者(コーチマンが玄関付近まで、馬車を近づけ止まる。シャロンはエディスに続き馬車から降りると、転ばないように気をつけながら、慎重に降りる。降りる際、自然に足元に視線が向かう。そこには目に優しい、緑が鮮やかな芝生が敷かれていた。
  エディスと居るのは気詰まりだが、景色もいいこの場所なら確かに気分転換に良さそうだ。

「いらっしゃいエディス、会うのは久しぶりね」
「招待ありがとう、毎日会っていたから、久しぶりに感じるわ」

  エディスの許に向かうと、エディスは招待したであろう友人と、挨拶を交わしている所だった。
  シャロンは 侍女(レディースメイドの立場として訪問している。そのため仕えているエディスがシャロンを紹介しないと、口を開くことはない。
  しかし適当に辺りを観察するのも、行儀が悪い。

  エディスとその友人の会話に耳を澄ませていれば、エディスについて何か分かることはないだろうか。シャロンは顔を下に向けたまま、耳をそばだてる。侍女という立場だというのに、シャロンはエディスについて知らなさすぎるのだ
  エディスはシャロンが側にいることを由としない。そのため他家へ随行することしか、させてもらったことがない。けれどもそんなことを言っている場合ではないのである。

  侍女(レディースメイドの仕事の一つに、主人の服を選ぶというものがある。今の流行を総合して、センスのいい服や装飾品などを選ぶのだ。そしてそれを踏まえて、本人の好みや似合うものを選べれば、侍女としていい仕事をしたことになる。
  勿論、自分からこの服を着たいと言ってくる主人もいる。しかしどちらにしろ、その服のセンスで屋敷内の自分の待遇などが変わる。ここではエディスの事を知っている使用人はいない。そのためシャロンがエディスの荷物から、その場にふさわしい格好を選ばなければならない。

  一応ではあるが、シャロンも令嬢の端くれである。そういうものについては基本知識としてはある。けれどもエディスの気分もある。
  この場に滞在するだけなのだし、教えてもらっていないのだから、別に気にしなくてもいいのでは。そう思う自分がいることも確かだ。けれどもやれることはやっておかなければ、侍女としての沽券に関わる。何の因果かシャロンしかエディスの使用人は居ないのだから。
  シャロンは気持ちを改め、話を続ける二人を観察する。しっかりと直視するのではなく、二人が不快感を感じないように、柔らかく眺める。その時、エディスの友人と目があった。

  ……まさか、こんな所で再会するなんて

  エディスが留学先の友人と会うという時点で、察するべきだった。そうすれば、こんな事にはならなかったのに。シャロンは毎度のことながら自分の迂闊さに、思わず奥歯をかみ締める。
  そう、エディスの友人はシャロンの友人でもある、ルシール=モークリー。ヒスピポネー子爵令嬢であった。シャロンが襲われた舞踏会の主催をしていた、メルフォルカ公爵の孫娘でもある。
  ルシールはパステルグリーンの服を身に纏っていた。ストロベリーブロンドの髪が、その服のおかげで一段と艶やかに見える。

「紹介いたしますわ、この屋敷の管理人のモイラよ。元々はおじいさまのゲームキーパーだったレイフの奥様なの。レイフは今、私たちのために新鮮な野菜を仕入れに行っているから、後で紹介するわね」

  ルシールから紹介されたモイラが顔を上げる。

「本日はようこそおいでいただきました。ルシールお嬢様から紹介いただきましたモイラ=ガネルと申します。今回微力ながら、身の回りを整えさせていただきます」

  紹介されたモイラは白髪交じりの栗毛の髪に、焦げ茶の瞳を持つ女性だ。周囲の自然にも負けない、深緑の服を身に纏っている。メイドたちも同系色の制服だ。ルシールと合わせたのだろうか?

「今回は侍女(レディースメイドともどもお世話になりますわ、とてもいい場所ですわね」

  エディスが挨拶を交わす間、シャロンはルシールの性格を思い返していた。ルシールはシャロンをもってしても、少しずれている所がある。けれども勘は鋭い。
  ルシールが気づいたとシャロンが思ったとする。けれどもシャロンが取り繕ったとして、それを察し、うまく誤魔化されてくれるのか不安である。シャロンの心の声が聞こえたのだろうか?  ルシールはシャロンに視線を向けてきた。

「そちらの方は侍女(レディースメイドの方?」
「そうよ」
「紹介して貰えるのかしら〜」
  ルシールはおどける様にエディスにそう言った。シャロンは暑くもないのに、背中に汗が伝った感じがした。

  ……もう分かっちゃったかしら?

  今のシャロンの姿には普段と違い眼鏡がなく、服装は侍女(レディースメイドにふさわしく簡素な服装である。飾り気のない無地の黒い帽子に、茶系の上着。その下には紺色のブラウスとスカートを合わせている。服の質自体もシャロンの給料で何とか買えるものだ。どこからどう見ても侍女(レディースメイドにしか見えないはずだ。

「私の侍女(レディースメイドのシャナよ、普段はハウスメイドをやってるの」
「そう、シャナさん今回は宜しくお願い致しますわねっ」
「……よろしくお願いします」

  にっこりと微笑むルシールの表情からは、何も読み取れない。シャロンはそのルシールの様子に、何も気づいていないようでほっとする。しかし、本当に私に気づいていないの?  と訊きたくなる気持ちにシャロンは駆られた。ルシールは勘がいいのである。
  どちらにしろ、これからどうなるのかが問題だ。

「じゃあ早速お部屋に案内しますわね」

  ルシールはそう笑うと、今にも軽やかに 足踏み(スキップしだしそうな雰囲気で歩き始めた。ルシールが――人数が少ないという理由もあるだろうが――使用人を介さず、わざわざ案内するだなんて……その行動から、二人がとても仲がいい事がよく分かった。

「ここはね、おじいさまの別荘なのよ」

  ルシールは誰も何も言っていないというのに、話し始めた。ルシールは話すことが大好きで、いつもすごい勢いで話すのだ。今回はエディスとどんな話しをするのだろう?

「ここはおじい様が時々お使いになるのよ、誰にも邪魔されずに過ごすために。本当は管理人の二人にあげるつもりだったみたいなんですの。おじい様は狩りが好きで、よく遊んでらしたの。今でも時々主催なさるのよ。ゲームキーパーのレイフは鳥の育成が得意なの。とっても美味しかったわ。良く狩りが出来たのはレイフのお陰だと良く仰っしゃっていたわ。私が小さいころにはもう勤めていたの。その褒美にこの屋敷を与えるつもりでいらしたのよ。でも二人ともいいって言うの。でも管理する人が誰もいないのには困っていたのよ、だから管理人をしてもらうという事にして、住んでもらうことにしたというお話を伺ったわ。あっ、通り過ぎるところでしたわ。エディスにはここを使ってもらいたいんですの。気に入ってもらえるかしら〜」

  ルシールが扉を開けると、そこは優美なマホガニーの家具で整えられた一室だった。草花がデザインに組み込まれている、アールヌーヴォー調の家具だ。壁紙も今の建築界を牽引していると言われるデザイナーの物で、これも草花がモチーフである。
  どの家具も目に優しい色彩で、滞在する人が落ち着けるようにと考えられているのが分かった。長く留まっていても疲れることはなさそうだ。

「可愛らしい部屋ね」エディスが感想を漏らした。
「わたくしが家具を選んだのよっ!」ルシールはそういって目を輝かせながら、話を続ける。

「この前の旅行で買ってきた家具もあるわ。そうそう旅行と言えば、面白い事がたくさんあったんですの!  原住民族と一緒に象を狩ったり、鯨も食べたりしたのよ、美味しかったわ。後でゆっくりお話しを聞かせてあげますわ〜エディスにこの部屋を喜んでもらえて本当に良かったですわ。この部屋の家具も海外で気に入ったものを運ばせたんですの。ゴールウェイ商会に無理を言った甲斐がありましたわ」

  シャロンはその言葉にびくっと反応しそうになった。叔母の嫁ぎ先――ゴールウェイ商会のことをわざわざ言うなんて……

  やっぱり気づかれているのかしら?  それとも偶然かしら?

「荷物はここにおいたほうがいいと思いますわ。重そうですもの。一応全ての部屋を案内しますわね〜」

  ルシールはずっとこの調子で屋敷内を案内にしてくれた。使用人であるシャロンが使うようになる部屋ですらだ。その様子を見ているうちに、以前使用人区画に入って、幼いことはよく叱られたと、ルシールが言っていたことを思い出した。

  そのまま令嬢二人は、お茶会のために客間に向かっていった。その間にシャロンは、エディスが使う部屋でエディスの荷物を解き、部屋を整える。
  それが終わると、自分が使う部屋を確認する作業だ。

  シャロンが使わせてもらう一室は、エディスが使う部屋とはうって変わって、殺風景な部屋だ。けれどもちゃんと掃除はしてくれたようだ。どれもこれも古いが、使えないと言うほどではない。きっと慌てて掃除したのだろう。

  今日は一段と疲れた気がする。驚くことが多すぎたのだ。思わず寝台に寝そべるが、慌てて体を起こす。このままだと寝てしまいそうだからだ。
  しかしやることは、粗方終わってしまった。シャロンの目に、外の風景が映る。木々が揺れているのが分かった。
  ふいにシャロンは窓を開ける。風がシャロンの顔に当たり、木々の香りも運んできた。シャロンは窓を閉めると、部屋から外に向かった。

  労働者階級のいいところは、一人で外を歩いても良いところだ。すれ違ったメイドに、外に散歩に行くと告げ、シャロンは屋敷の周囲を歩いていた。こんなことは今までだったら出来ないことだ。令嬢たるもの召使の一人も連れずに歩くなんて、行儀のいいことではない。

  しかし今は、そんなことを気にせずに歩ける。

  都会では感じられない木々や土の匂いに、シャロンは気持ちが洗われるような心地になる。その空気を吸い込み目を伏せるだけで、本当に気持ちがいいのだ。
  けれども、そのシャロンの楽しみを遮る物があった。シャロンのまっさらな心に、それだけが浮かぶ。

  自分の今の立場を分かってるの?

  そう――それはシャロンの中のもう一人の自分の声だ。罪悪感でも言うべきだろうか?  最近なりを潜めていたが、やはりそう感じてしまう物らしい。
  シャロンは今、命を狙われている。誰も守ってくれないにも関わらず、こんな風に出歩くなんて……それこそ褒められる物ではない。シャロンを狙った物たちにはシャロンがどこに居ようと関係なく殺せるだろう。しかし自ら出歩くことは、自衛すらする気がないと言っているようなものなのでは?

  シャロンは自分の心に、ほかの考えが生まれてこないか探った。しかし他には、なにも浮かぶことはなかった。シャロンはその言葉に背中を押されるように、屋敷へ帰っていった。
  夕食を食べ終わり、エディスの身の回りの世話をさせて貰えることもなく、シャロンは寝台に横になっていた。きっとエディスは、この屋敷のメイドに自分の世話をさせたのだろう。薄々分かってはいたが、現実になると落胆する自分が居た。

  初対面の時からエディスは、シャロンに冷たかった。しかし今回、旅行先に連れてこられた。そのため多少は侍女(レディースメイドらしいことが出来るのではないか。そう思ったことも事実だ。
  けれども自分が、こんなに衝撃を受けるだなんて、思っても見なかった。分かってはいたはずなのに、落胆する自分をごまかせない。勿論他者に、悟られるようなことにはなってはいないと思う。
  幼い頃から表情を取り繕うのだけは――自信があった。それすらも最近では青年に暴かれている気がする。けれども逆に考えれば、今まで彼にしか分かられなかったということでもある。

  ……ここに彼が居なくて本当によかった。

  シャロンは体を動かし、見慣れない天井に視線を向けると目を閉じた。

  そのとき何かが――部屋の扉だ――軽く叩かれた音がした。反射的に体を起こす。そしてその勢いのままシャロンは「どうぞ」と口にした。静かに扉が開かれる。

  その扉の前には、ルシールが立っていた。彼女は真顔でシャロンを見つめていた。



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