第一部  遅すぎる応酬02


  「着いてこないでください!」
  もう嫌だった。
  どうして父は、こんな人に自分を任せようと思ったのだろうか。
  青年のことを父は信頼しているようだ。しかし彼は、自分にはっきりと殺害を二回も宣告してきた。言動もおかしい。そんな人物の側には、もういられない。

「そんなに俺に守られるのが嫌だったら、なんで嫌って言わなかった?」

  青年の声音には純粋な疑問だけが(にじんでいた。
  シャロンはアドルフと青年と話をしたときのことを思い返した。父が青年に提案して、青年が殺害予告をしたところまでは、朧気ながらも思い出せた。しかし、それで決まったという話は覚えていなかった。そう伝えられた記憶もない。
  けれどもアドルフが、シャロンに青年に着いていくようにと言ったとする。そうなったとして、断ったかどうか訊かれると自信がない。

  父親の言うことは絶対だと教育されている令嬢(シャロンに、異を唱えるという考え自体なかった。

「私はそのよう話自体聞いてはおりません。使用人専用の裏口に居るようにと言われただけで……」
「あいつ、ちゃんと話すって言ってたぞ」
「それはいつのお話でしょうか」
「俺とお前とあいつで話した時に言ってたぞ、いや、厳密にはお前が意識飛ばした後だ。そのあと、お前の具合が安定したら様子を見て話すとかなんとか」
「そうでしたか……」
  シャロンは動揺を悟られないように、慎重に言葉を返した。青年には知られているようだ。シャロンがあの時、記憶が飛んでしまったことを。
  今までどんな場所で記憶が飛んでしまっても、誰にも発覚することがなかったというのに……もしかして青年を通して、アドルフにも知られてしまっただろうか? しかしそれを、言葉にして確認するのは(はばかられた。

「ショック状態の頭に、そんなこと言われても覚えてるわけねぇーよな」
  青年は何故こんなにも、シャロンの状態を的確に当ててくるのだろう。ここまで読まれて事はなかった。驚きと恐ろしさが胸をよぎった。
「で、これからどうすんの?」
「これからとはどう言う意味でしょうか」
「襲われたのに、あの弁護士先生のとこに世話になんのかって事だ」

  青年の度肝を抜かれる発言で頭から抜けていたが、そうだった。
  キャナダイン夫妻の自宅を襲撃されたわけではないが、その周辺で襲われたのだ。
  このままお世話になっていたら、いつまた襲われてしまうか分からない。
  お世話になっている夫妻やマリーに、迷惑はかけたくなかった。
  どうすればいいのだろう。少年と、少女達の姿が浮かぶ。
  青年は少年と直接は会ってはいない。
  しかし少年の話をしただけで、動揺していた様子から、少女達とのように仲がいいわけではないと言うことは分かる。
  青年と仲が良さそうな少女達の事は、彼に頼めばどうにかしてもらえないだろうか……
  いや、それではだめだ。青年の事は考えてはいけない。殺人が趣味だと言い切ってしまう人物だ。
  『鍵』狙いの少年や、何者か――ほぼ少年で決まりだろう――に頼まれたからという理由で、襲ってきた少女達よりも恐ろしい。
  なにせ趣味だ。そこからして意味が分からない。
  しかしシャロンの窮地を、何度も助けてくれたことは確かだ。けれど……
  笑い声が聞こえる。勿論青年の声だ。

「眉間に皺寄ってっぞ」
「余計なお世話です」
「お前、さっきまで俺にビビってたんじゃないの?」
「どういう意味でしょうか?」
「そんな口利いて、いいのか?  そんなんじゃ頭に血が上った俺にすぐに殺されるかもな」
シャロンは反射的に身構えた。

「まぁ、怒ってねーけど」
「分かりにくい言い方はお止めいただけませんか?  それでなくても、私は疲れているんです」
「あっそ、じゃあ簡単に言うわ、怖がれよ」
「はい?」
「俺は早くお前にショック状態になって欲しいわけ、懐柔しやすそうだから」
「……言ってしまっては意味がないのでは」
「まぁな、でも非現実的な事が起こりすぎてハイテンションのまま、これからのこと適当に決めんなよ?  弱っている奴いたぶる趣味は俺にはないしな」
「私は貴方が一番理解が出来ません」
  まただ、彼相手だと考えるよりも先に、口が思ったことを言ってしまう。しばらく黙った方が良さそうだ。
「まだこれからどうすんのか悩んでんのか?  簡単じゃねーか、なにせ簡単な足し算だ」

  黙っていると考えこんでいると思われたらしい。
  間違ってはいないが、彼に指摘されると――なんだか悔しい。
  シャロンの事なんて、なんでもお見通しなのではないか。
  そう思うと、考え込んでいる自分がバカみたいだ。

  彼が先ほどから言いたいのはこう言うことだろう。
  少年と少女たちと青年を相手にするより、自分を雇った方が敵の数が減ると。
  それにキャナダイン夫妻にお世話になるならない関係なく、だれか護衛がいた方がいい。
  しかし人間には、手に余る相手だ。そうなると頼めるのは、自然に青年と言うことになる。事情を説明する必要もない。勿論これは、状況だけで判断した話である。

  そう考えを纏める。しかし首を縦に振ることは躊躇われた。
  それにまた彼は、正反対のことを言っている。
  ショック状態になって欲しいと言ったり、ちゃんと正常になってから判断しろと言ったり……

  これでは警戒を解くどころの話ではない。

  今すぐにでも逃げ出したい気分だというのに、これでもシャロンは譲歩しているのだ。
  シャロンの行動を読んでくるくせに、なぜ神経を逆撫でする事ばかりするのだろう。
  もう少し言い方を変えることくらい出来るだろうに……
  もしかして、遊ばれているのだろうか?  きっとそうだ。

「私で遊ぶのは面白いですか」
「あ、分かったか」
「……」
「そんな顔すんなって、悪かった。でもお前そうやって喋ってた方がいいな」
「私をこんなにからかう方は貴方が初めてですわ」
「そりゃあ光栄だな、でも本当に大丈夫か?  お前怖くなかったのか?  普通怖いだろ」
  まただ、なぜこのタイミングでシャロンを気遣うようなことを言うのだろう。
  彼にはシャロンの考えていることが筒抜けのようだ。
  もしかして、からかっていたのはシャロンの気持ちを測るため?  いや、それはないだろう。
  そうなら普通、殺すだなんて冗談でも口にしない。まぁ、彼は本気のようだが……

「勿論怖かったです、ですが……」

  そう言ってから、自分がそんなに怖く感じていないことに気がついた。
  襲われることよりも、普段の社交の方が何倍も恐ろしい。
  でもそんなことを言ってしまったら、彼にまで可笑しいと思われてしまうのではないだろうか。
  それは嫌だ。理由は分からないけれど、漠然とそう思った。

「ん?  どした」
「いえ、何でもありません」
「ふぅん、まぁいいわ、そうそう、あの人たちはすぐには襲ってこないだろうから安心しろよ」
「何故そう言いきれるんですか」
「体バラバラにしといた」

……何か不穏な言葉が聞こえた気がするが、気のせいだろうか。
「……冗談だっつの」

  よかった、冗談だったようだ。いや、いまの冗談と言う言葉自体が、嘘なのではないか?
  しかしそれを直接聞くことは怖かったので、彼の言った冗談という言葉が本当であることを祈った。

「まぁ、ボディを壊したのは本当だけどなーそうそう死なねーから気にすんな」
  彼の言うことを、間に受けるのは止めたほうがよさそうだ。気にしていたら心臓が持たない。
「それにあの人たちにとってこの世界は、居づらい場所だからな」
「それは一体どういう……」
「これ以上は自分で調べろよ、調べるのに必要な物もあることだしなーそれにしても、お前いつの間にそんないい物手に入れたんだ?  えぇ?」

  青年の視線の先には、貰った本と『鍵』が入った鞄があった。きっと彼が見ているのは、鞄ではない――その中身だ。シャロンは反射的に鞄を隠した。
  また何も言っていないのに知られている。いや、ただの推測?  どちらにしろ、シャロンが動揺したのは確かだ。
  そう言えばタウンハウスでもそうだった。『鍵』があると判断できるのなら、彼は悪魔なのだろうか?
  今は確かな情報が少しでもほしい。不意打ちで訊けば、少しは様子から憶測できるかもしれない。それに、なんだかこちらばかり、割を食っている気がする。少しで良いから彼を驚かせてみたい。

「貴方は悪魔ですか」

  シャロンは動揺していることを悟られないように、挑戦的に見られるように、彼をしっかりと見据え、そう言いきった。
  視線が交錯する。彼は目を細めてこちらを見てきた。長いような短いような時間が過ぎる。

「残念だがはずれだ。ふぅん……少しは勉強したみたいだな」
  彼の態度は、全くと言っていいほど変わらなかった。やっぱり悔しい。
「でも、『鍵』は使ってないみたいだな――誰かに訊いたのか?」

  墓穴を掘ってしまっただろうか?  まさかたった一言で、そこまで断定されるとは思わなかった。
  少しでも、彼を驚かせてみたかっただけなのに、また追いつめられてしまった。  自分の表情が、少しでも変わっていないことを祈る。
  彼が探るようにこちらを見つめてきた。
  これまでも何回かされているが、なんだか彼に見つめられると非常にまずい気がしてならない。  彼の頭の中では、どのような思考が渦巻いているのだろう。全く想像がつかない。
  視線を外されることなく、青年は口角を上げてニヤリと笑う。その姿は艶やかだ。  これがきっと、大人の男性の色気という奴だろうか。
  シャロンは、胸が疼いたことに気づかない振りをしながら思った。
「なぁ、俺と賭けねーか?」
  その声はシャロンの耳の奥にまで響いた。





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