第一部  遅すぎる応酬01


  何故私は、ここに居るのだろう。
  シャロンは見知らぬ場所に居た。辺りはレンガで舗装された道や家々が連なっている。
  どうやら、路地裏のようだ。本からの知識で、そう見当をつける。シャロンは街の空気感から、ブリュネベルで間違いなさそうだと推測した。全く知らない場所という訳ではないらしい。

  私はあのまま屋根から落ちて死ぬはずだったのでは?

  シャロンの胸中では、その問いが幾度と繰り返されているが、勿論問いは返ってこない。
  どうにかして、キャナダイン夫妻の家に戻らないと……そう考えを纏めると、シャロンは人生初の路地裏を歩き始めた。

  案の定、土地勘もない場所を推測だけで進む事は、厳しかったようだ。
  なんだか歩けば歩くほど、奥に入っているような気がする。自分でこの場所に来たわけではないのだから、当然といってしまえばそれまでだ。

  けれど、道一つまともに歩けない自分に、苛立ちが募るのを止められない。ただ自分は、出来て同然なことを、当たり前な事を、やろうとしているだけだ。
  しかし、上手くいかない。自分が悪いのか、ただ運が悪かっただけなのか……

  シャロンは、自分の身に起こることに関して、嫌気が差していた。
  だからだろうか?  この辺りのごろつきにも、普段は取らないような態度を取ってしまうのは……

「おいおい、姉ちゃん迷子か?」
「やめて頂けませんか!  私は急いでいるんです」
「なんなら、オレ達が連れて行ってやろーか?  いい所によぅ」

  先程から下劣な冷やかしの言葉や、笑い声を上げ、何かと男達は構って来る。普段の服装ではないとはいえ、シャロンは労働者階級には見えない。
  中流者階級の医者や弁護士の娘といったところだろう。働いたことがないことは、一目瞭然だった。
  普段なら、もっと冷静に対応できただろう。
  しかし、シャロンはこの現状に疲れていた。そして、普段の自分を知っている人間が居ないことも、決め手だった。シャロンは今までの気持ちを晴らすかのように、こう叫んでいた。

「いい加減にして!  貴方達に構っている暇はないんです、私はこんな所に居る訳にはいかないの」
「あぁ!?  こっちが下手に出てればいい気になりやがって!!」
  その言葉とともに、その男の拳がシャロンに襲い掛かる。その時白くて細いが、しっかりとした手が、シャロンの面前に現れる。
  それは驚いたことに、見覚えがある手だった。シャロンは、無意識に殴られないように逸らしていた顔を、反射的に上げた。

  そこに居たのは、やはりあの青年だった。

  青年はシャロンに手を上げようとした男の腕を、難なく掴んでいた。

「こいつら、お前の知り合いなの?」
「いえ、そういうわけでは……」

  青年は世間話でもするような気軽さで、シャロンをしっかりと見据えそう尋ねる。しかし話をしながらも、掴んでいるごろつきの腕をひねり、ごろつきの背中へと回していた。
  ごろつきは「痛ぇ痛ぇ、痛い!  それ地味に痛いからやめろっ!」と声を上げていた。
  彼はそのまま、いきなり現れた青年に呆然としている、ごろつきたちの仲間に男を押しやった。

「あんた達と喧嘩する気はない、これやるからとっとと消えろ」
  彼はどこからともなく薄汚れた袋を取り出すと、それをごろつきどもに投げつけた。ごろつきどもは、恐る恐る袋の口を解き中身を確認すると、叫び声をあげてそのまま走り去っていった。
  青年は、ごろつきどもの姿が見えなくなったのを確認すると、シャロンに向き直る。
  そしてまじましと観察してきた。自分の体に穴が開いてしまうのではないかと思ったほどだ。

「お前、怒鳴ることってあるんだな」
「……」
  彼とは知り合ってそんなに経っていないが、毎度毎度反応に困る事を訊いてくる。元々会話がそんなに得意ではないシャロンは、当惑するばかりだ。
「まぁ、それはどうでもいい」
なら、どうして訊いたのだろう。もしかしたら彼も、会話が苦手なのだろうか。
「あの、如何してこちらに?」
「俺がこの場所に飛ばしたからな」
シャロンは一瞬驚いた。けれど、納得できる答えだと思った。人を瞬間的に移動させるだなんて、普通無理に決まっている。
「お前が落ちるとは思わなかったから、反応が遅れてな、適当に飛ばしたらこんな場所になっちまった……悪かったな」

  驚きで言葉が出なかった。
  青年は自分の発言で、シャロンが動揺したことを、全くといっていいほど理解していないようだ。
  今の謝罪は、シャロンが不注意で屋根から足を滑らせてしまったことに対してだ。助けたのは良かったが、手を差し出したのが僅かではあるが遅れたために、ごろつきに絡まれてしまったことに対しての謝罪なのだ。
  青年の発言に動揺して、屋根から落ちてしまったことに対してではない。
  普通真っ先に謝るなら、シャロンに対する殺害をほのめかす言葉ではないだろうか。理解が出来ない。

「いえ、お気になさらず、ありがとうございました」
自分でもハッキリと分かるほど、硬い声だった。いや、棒読みといったほうがいいかもしれない。
「お前、何怒ってんの?」
  まただ、シャロンの気持ちを読み取るくせに、自分がどんなにひどいことを言ったのか、忘れたかのような物言い。シャロンの窮地を助けてくれるのに、殺害予告を二回もされた。どっちが本当の彼なんだろうか。

「いえ、怒ってませんから」
「いやいや、どう見ても怒ってんだろ」
  青年は、立ち去ろうとするシャロンの腕を掴もうとした。しかし、シャロンはそれを振り払う。青年のシャロンを気遣うような言動を見れば見るほど、シャロンは自分の内側から、激しい感情が噴出すのを感じた。

  いい加減、混乱するようなことは止めて欲しかった。

「触らないでください!」
  先程ごろつきに向かって、叫んだのとは比べ物にならないほどの、大声だった。
  シャロン本人ですら、一瞬驚いたほどだ。

「貴方は何をなさりたいのですか、私を殺すと仰ったのに私を心配したり、人から助けてみたり、一体何なんですか?  よく分からないことは止めてください!  私をからかって楽しいですかっ!?」
  シャロンはこのとき、心から自分が怒っていることに初めて気づいた。青年はシャロンの訴えに、呆然とした様子だった。しかし、暫くすると探るようにシャロンを見つめてきた。

  静寂がこの場を包む。

「……お前、怖かったの?  俺の事が」
「何故、どうして、今頃気づかれるのですかっ!」
  シャロンの絶叫が木霊した。

「仕方ねぇだろ、俺の周りには普通な奴居ないんだから、怖がらせて悪かったな」
青年は肩をすくませ、そう言う。けれどもシャロンの気持ちは治まらない。むしろその態度に苛立ちが増したようだ。
「そもそも、冗談で殺害を予告することが間違いです」
どうして自分よりも年上の人に、子供でも分かるような事を、指摘しなければならないのだろうか。
「いや、冗談じゃねーから」
「はい?」
「殺したいのは本心だし……だから、そのまま怖がって居たほうがいいんじゃねーの」
  身の安全のためにもと、そう青年は何気なく続ける。
  その言葉に、シャロンの胸中は疑問と驚愕で一杯になった。一体どういうことなのか、全く分からない。未知の生物と話しているようだ。
「じゃあ、助けたのはどうしてなんですか?」
「お前の親父に頼まれたから」
「頼まれたから助けたんですか!?」
「うん、それに人が死にそうになってたら助けるのが常識だろ」
「常識!?  では人を殺すことはあなたにとっては常識なんですか」
「いや、趣味」
「しゅみ?」

  シャロンの推測や予想を、遙かに越える発言だ。シャロンは青年の言葉をオウム返しにしか出来ない。
「お前を殺したいのに、他の奴に殺されたら迷惑だからな、だから助けただけだ」

  彼が質問に答えるたびに、今までの経験、常識、固定観念などを打ち破る言葉が返ってくる。
  このまま青年の話をまじめに聞いていたら、シャロンの頭は使いものにならなくなりそうだ。今にでも破裂しそうだ。
  彼が非現実的なことを目の前で行っても、何かしら種があるのではないかと思ったこともあった。けれど、父が信じているのだから、信じようと思ったし、自分も納得したのだと思った。

  しかし、目の前に居るのは、本当に人ではない何かなのだと、シャロンは痛感してしまった。

「あぁ、殺すのはお前を襲っている奴を退治してからだから、安心しろよ」

  何をどう安心すればいいのか分からなかった。





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