第一部  楽しむ少女たち02


  まさか、また会う事になるとは思わなかった。どうして彼は、助けてくれるのだろう。そして、何故この場所が分かったんだろうか。
「あー    くんだー」
「□□くんだー」
  少女達が青年を指差し、楽しそうに笑う。彼女達は、木から飛び降り青年の許へ駆けつける。

「おひさーだね!」
「お前らその体どうした?」
  青年が気だるげに訊く。以前助けてくれたときも、襲ってきた人物に話しかけていた。しかし、そのときとは対照的に、落ち着いた口調だった。
「貸して貰ったのー」
「貰ったのー」
  少女達は同時に、首を横に傾げながら言う。
「……あいつに?」
  青年の目が細められる。その時僅かに、青年の声が冷たさを帯びたように感じた。
「そうそう、おねーちゃん倒したら、この体ぴちゃぴちゃ達のものになるんだって!」
  黒髪の子――ぴちゃぴちゃは話しながら、その場でぴょんぴょん跳び始めた。

「でも、殺しちゃ駄目って言ってたよー」
「そうだっけ?」
「さっき言ったのにー」
「のにー?」
「のにー!」

  少女達は、話の内容に合わない明るい声音で話している。その様子は無邪気としか言いようがない。
  彼女達は自分で発言している内容のことを、ちゃんと理解しているのか、疑問に思う口調だ。
  しかし、舞踏会のときに襲ってきた少年とは違い、得体の知れなさや不気味さを感じない。きっと、青年が警戒していないからだろう。

「あんた達、あいつから依頼受けたんだよな?  で、代わりに体を貰ったと……」
「そうそう、暇だったしー、こっちの世界久しぶりに行きたいなーと思って、受けちゃった!」
「そうそうーなんかね、どーしてもお願い!  って言われたからねー、まぁいいかなって」
「でもさっすがーだね、なんにも言ってないのに、分かっちゃうんだもん    くんはやっぱ凄いねー」
「□□くんカッコいいー」
「ひゅーひゅー」
「ひゅーひゅー」

  少女達が青年を煽てる。青年の顔が、眩しい光を浴びたかのように歪められた。
  今も青年の名前を少女達が言ったはずなのに、シャロンには分からなかった。シャロンに聞こえた音は、無音だったりノイズのような音だったりする。
  まるで、シャロンには青年の名前を聞かせたくはないかのように、青年の名前の所だけ、聞こえなくなるのだった。

「俺とあいつの事、知ってて言うの止めろよな、で、あんた達今回は敵なわけ」
「うーん分かんない」
「    くんとあいつがどうなろうと、関係ないしなぁ」
「こっちに来たかっただけだし」
「うんうん」
  冷たいことを言ったというのに、少女達は自覚がないのか、平然としていた。
  彼女達は一体何なのだろう。何がしたいのだろうか。

「じゃあ、俺がもっといい体用意したら、こっちに付くか?」
「「うーん」」
「何でそこで悩むんだよ!」
「だって、おねーちゃんで遊ぶの楽しそうだし」
「        くんについたら、遊べなくなっちゃうでしょー」
「『で』ってなんだよ、こいつは玩具(おもちゃじゃないぞ」
「じゃあー二人で遊んでくれるの?」
「いいねいいね!    そのほうが楽しいよーきっと」

  そう言いながら、少女達は遊び始めた。玩具類(ヨーヨーとボールから何か光るものがバチバチと音を立てているが、見間違いだろうか。

「じゃあーってなんだよじゃあーって、こっちは楽しくねーよ」
「さらさら達は楽しいよ?」
「知らねーよ!    あとそのヨーヨーとボール、止めろ」
「「やだー」」
「これから追いかけっこだよーよーいドン!」
「「ばーん」」

  その掛け声で、玩具類(ヨーヨーとボールから漏れていた火花は勢いよく飛び出した。
  青年はため息を吐き「しっかりつかまれよ」とシャロンに告げる。
  そしてシャロンの腰に腕を回し、自分の許へ引き寄せて走り出す。まさか抱えられるとは、思っていなかった。思わず反射的に目の前にあった肩に、手を伸ばす。
  その途端、全身の力が抜けてしまった。体の所有権がなくなってしまったかのように、うまく動けない。

「……下ろして頂けませんか」
  青年に抱えられた時から、体の調子がおかしい。この状況は非常に良くない気がしてならない。
「お前、殺されてぇーの?」
  一瞬――誰にですか?――と問いかけようとして、奥歯を噛み締める。
  シャロンの脳裏には、舞踏会のときに襲ってきた少年達と、いま視界に映っている少女達、そして、この黒ずくめの青年の姿が浮かんだ。

  その事を、青年を警戒していることを、悟られてはいけない。
  どう考えても今の状況では、追いかけてきている少女達について指しているに違いない。彼女達は楽しそうに、玩具を振り回したり、投げ飛ばしたりして、光線を出し続けている。
  シャロンは、進んでいる方向と逆向きに抱えられている。そのため少女たちの様子が、これでもかというほど良く見えた。どう見ても、完全に遊んでいるようにしか見えない。
  きっと彼女達からすれば、ただの暇つぶしなのだろう。
  こちらは命が懸かっているのだが……

「ですが人目につきますし……」
「安心しろ、お前が追いかけられた時点で、他の奴からは見えてねーよ、それよりしっかり掴め、危ない」
「掴んでもよろしいのでしょうか」
「俺がいいって言ってんだから、気にすんな」
  シャロンはその言葉で、改めて彼にしがみ付くように、彼の首周りに腕を回す。確かにこの方が揺れない。
  しかし、体の浮遊感は一層高まった気がする。なんだか、体も熱い気がする。
「よく周りを見てみろ、誰も俺達の事なんか見ちゃ居ない」
  そう促され、周囲を注意深く観察する。
「確かに、どなたもこちらを見ていらっしゃいませんね」
「だろ?」

  青年はシャロンを抱えながら走っているのに、全く息が上がっていない。青年は器用に、少女達の攻撃を避けながら走っている。
  青年がシャロンを、今まで以上に強く抱き寄せる。そして地面を蹴った。すると青年の体が、あり得ないほど高く跳んだ。シャロンは思わず息を呑む。まるで、先程の少女達のようだ。
  彼はそのまま飛び上がると、どこの屋敷ともつかない屋根へ、着地した。

「そこで待ってろ」
  青年は言葉とは裏腹に、丁寧にシャロンを下ろす。青年は瞬く間に消え去り、4〜5分ほど経過した後、ゆったりとした足取りで、シャロンの許へと戻ってきた。
  今まで余裕がなかったため気づかなかったが、青年の服装は最初に助けて貰った時と、似たような意匠の服装だ。
  やはり彼には、この奇抜な格好が良く似合っている。

「あの子達はどうなったのですか?」
「追い払った、でもまた来るだろうな、あの人たちは……」
  青年が頭をがしがしと掻く。そのたびに白銀の髪がサラサラと揺れた。
「そうですか……」
「誰かしら来るとは思っていたが、よりによってあの人たちとはなぁ……まぁ、その方が楽か」
  彼は半ば独り言のように、淡々といった。
「彼女達はどういった存在なのですか?」

  どう考えても人間じゃないことは、火を見るより明らかだ。
  舞踏会で襲われ、青年から話を聞いても現実味がなかった。半信半疑だった。そして自称悪魔だという探偵と知り合った。そして再び襲われ、またまた得体の知れない青年に助けられた。
  こんな事ばかり起こっては、得体の知れない人外の存在に、違和感が抱けなくなりそうだ。
「あの人たちは、精霊とか妖精とかまぁそんな感じの奴だな、俺も良く知らねーが」
「精霊、ですか?」
  思いの外、いい存在のようだ。小悪魔だと言われた方が、納得できるかもしれない。しかしそんな存在に襲われたとなると、なんだか身に覚えもないのに、悪いことをした気分になってしまう。

「そうですか、お伺いしたいことがあるのですが宜しいですか?」
「なんだ、面倒くさい事は言うなよ」
  青年は目を細めながら、視線をシャロンに向ける。
「どうして私を、お助け下さったのですか」
「お前の親父に頼まれたからだろ」
  青年は呆れた表情で答えた。
「私は、あなたとはもう二度とお会いすることがないのだと思っていました」
  アドルフからシャロンのことを、どこまで頼まれたのか分からない。キャナダイン夫妻の家まで案内してもらった時、彼は別れの挨拶もなしに、何処かへ行ってしまった。
  あの時シャロンは――今はとてもいい家庭だと分かっているが――知らない人の家に置き去りにされたと思った。彼が居なくなった事が分かった瞬間、シャロンの心臓がすっと冷えた感覚を覚えた。

  それが今でも――忘れられない。

「なんで」
  間髪入れずに、青年が問いかけてくる。シャロンは気圧されながらも、この気持ちを悟られないように青年を見据えた。
「今は私がお伺いしているんです、今まで――何をしていらっしゃったんですか?」
  そう、それが疑問だったのだ。彼は一体何をしていたのだろう。そして、どうして戻ってきたんだろう。

「……お前を殺すために準備してたって言ったらどうする?」

  一瞬、何を言われたのか分からなかった。
  頭を過ぎったのは、青年とアドルフが話している光景と、嘘だと思いたかった――お前の娘殺していいか――という発言だった。
  やはり、青年のことに関しては、アドルフは信用できそうになかった。

  それだけは分かった。

「死にたいのか?」
「えっ?」
「このままだと落ちるぞ」
  無意識に後ずさっていたようだ。いつの間にか屋根の端に居た。あと一歩下がったら、落ちてしまうのは明白だ。
  しかし青年は、距離を詰めて来た。
「アブねーだろ、こっちこい」
  青年が手をシャロンに伸ばしてくる。どうしてこの人は、シャロンを助けようとするのだろう。シャロンを殺すといった口で、シャロンを案じるようなことも言う。

  一体何がしたいのだろう。分からない、分からない。

  足の踏み場がなくなったと思った瞬間――シャロンは、屋根から身を投げ出していた。
  その時僅かに見えたのは、青年の驚愕としかいいようのない顔だった。





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