序章   告げられた世界03


  皿がどんどん積み上げられていく。見ているこちらが胸焼けしそうなほど、青年はローストビーフを食べ続けていた。それを見て、このような状況を無我夢中と言うのではないか、とシャロンは思った。
  青年が五皿目の皿を積み上げ、六皿目の皿に取りかかろうとしたその時、アドルフは青年に言った。

「君の食べっぷりをみたら、我が屋敷の料理人(コックはさぞ喜ぶだろうね」
  青年は、怪訝そうに目を細めてアドルフを見た。
「もうそろそろ説明してくれないかな」
「後五皿は食べる」
「そのくらいなら構わないよ」

  その言葉が合図だったのか、青年は口元をナプキンでぞんざいに拭うと、話すために口を開いた。

「その本は間違いなく『真理の鍵』だ」
「やはりそうだったんだね。しかし、なぜここに?」
「俺がそこまで知っていると思うか?」
「あ、あの、申し訳ありません」
「私には話が見えないのですが……」

  二人の視線が一斉にシャロンに注がれる。居心地の悪さを感じるが、そんなことは言ってられなかった。

「面倒だから、知ってる限りのことをいう」

  予めそう伝え、青年が語った内容は、荒唐無稽としか言えない内容だった。
  シャロンが持っている本は、『真理の鍵』と呼ばれるもので、様々な世界――シャロンが住んでいる国とその他の国のことを指すのではなく、世界は無数に存在しているらしい――に散らばり、総ての情報を吸収し、持ち主に『鍵』の知識の一端を授けてくれるという。
  但し所持しているからと言って、無条件に授けてくれるわけではなく、『鍵』自身が認めたものにしか与えられないと言う。『鍵』の持っている知識は、世界の総てと言われており、『鍵』の存在について知っているものは、『鍵』に認められた人物や、その『鍵』の創造主の他はごく少数らしい。青年の推測では、シャロンを襲った人物は、この『鍵』と持ち主であるシャロンを狙ったのではないかと言うことだった。

「私は、この本がそのような代物だとは知りませんでした」

  シャロンは無意識のうちに、その話に対する感想を口にしていた。彼の話自体はひどく現実味が無かったが、昨日この目で見た出来事は紛れもない現実だ。それはこの短くなってしまった髪が証明している。それにアドルフが異を唱えないのなら、娘である自分が口を挟む余地はない。

「知ってる奴は滅多に居ないからな、俺も知ったのはつい最近だ」
「どうしてこのような本が家の屋敷にあったのでしょう?  それに何故私が持っていると分かったのでしょうか」
「『鍵』は知識が蓄えられそうな場所を探して漂うらしい、この家にいれば欲しい知識が得られるとでも思ったんだろ、何でこの家にあるのか知ったのかは知らないし、予測も無理だ、情報が少なすぎる」
「私を襲った方を貴方はご存じなのですか」
「あれは操り人形だ」
「操り人形?」

  シャロンは面識が有るのか無いのかを訊きたかったのだが、これはこれで気になる話だ。それに、自分の質問内容を細かく説明するのは、なんだか怖かった。

「術師の命令を聞く人形だ、基本的に術師の思考に合わせて動く」
「ではその術師が、シャロンを狙っていたと言うんだね? だが、本だけ盗めば良いだけの話ではないのかい」
「そうもいかない、『鍵』は持ち主が居ないと知識は授けない。基本的に人間しか持ち主にしない、『鍵』は自分の気に入った奴しか持ち主に選ばない」
「君は、私と二人で話したときもそうだが、シャロンを襲った術師が人間ではないと考えているようだね、何故そう思っているのか、教えてくれないか?」
「意志疎通が出来る人形を作れる人間は、この世界には滅多にいない」
「術師の正体に心当たりは?」
「……ない」

  シャロンには、青年の表情が僅かに曇ったように見えた。

「まぁ、本に選ばれていないなら、手放せば襲ってはこないだろ、『鍵』を使えると思われているから……狙われるんだ」
「選ばれているかいないかは、どうすれば分かるんだい」
「知らない」
「そうか、私としては後一つ知っておきたいことがある。そんな貴重で凄い能力が有るものを手に入れて、一体何をしようとしているかだ。狙っている理由も分かっていない、シャロンを襲撃したものが、その『鍵』で何をしたいのかが重要だ。何か心当たりはないかい?」

  確かにそうだとシャロンは思った。良いことに使うのならばいいが、悪用されたら大変なことになるのは目に見えている。だって、彼の言ったことが本当なら、世界の総ての情報が手に入れられるのだから……

「本人にでも訊け、けど人から物を奪う奴だから、碌なことしないだろ」
「他に詳しそうな人物に心辺りは居ないか?」
「『鍵』の存在自体殆ど知られていないから、探すのは厳しい」
  青年はため息をつくと、ローストビーフを薄く切り、数回噛んだ後、水で流し込んだ。

「それに『鍵』を渡したところで、良くて浚われるだけだろ」
「私もそう思います。あの男の子はなんだが得体が知れませんし、『鍵』を渡して終わりになるとはとても……」
  口に出して、改めて余計にそう思った。彼は全然人の話を聞いていないし、顔は笑っているのに、腹にはおぞましい何かを抱えているような、そんな感じだった。
「男の子?」
  青年が訊いてきた。
「は、はい、お伝えするのを忘れていたのですが、あの女性を私に差し向けた男の子が居たのです」
「どんな奴だった」 口調は何気ない様子だったが、彼の瞳の力が僅かながらに変わったようにシャロンは感じた。

「4歳か5歳くらいの男の子で、良家のご子息のような感じでした。でも発音が怪しくて……本が欲しいようでした。ないと言っているのにあるはずだと断言してきたのですが、あの子がきちゃうからこうするしかないと言って、あの女性を……」

  説明していてふと思った。得体の知れなさで言えば、助けてくれたこの青年も同じなのだと……家政婦(ハウスキーパーであるアシュトン夫人も、父であるアドルフも、彼のことを知っているらしい。しかし、語る内容や、服装、そして彼が倒れたときのあの冷たさ――そして、そこからの異様な早さでの復活。そう、彼も十分に怪しい。そう考え、ふと彼に意識を向けると、彼は異様な雰囲気を醸していた。

  あの女性、いや彼は人形と言っていた……を殺したときの比ではない。
  暗く重い空気で、すべての物を凍てつかせてしまうのではないかと錯覚してしまうようなそれを纏っていた。その異様な空気を肌で感じたシャロンは、体が全く動かせないことに気づいた。まるで金縛りにあったかのようだ。
  それとは反対に、本棚や机、そして座っている革張りの長椅子まで、様々な物が揺れはじめる。経験したことはないが、これが本で読んだ、地震と呼ばれる物ではないだろうかと思わせる揺れだ。
  そして、机にあった紙まで舞い始めた。さらさらと流れるようなそれは、瞬く間に激しい嵐にまでなった。しかし、彼の叫びとも言える、言葉に聞こえない声が聞こえたと思ったその時――全てが静止し、全ての物は自分の居所に収まっていた。現実が戻ってきたのだ。

「わりぃ……」

  あの異様な雰囲気を醸し出していた人物とは、思えない声音で青年は言った。やはり、この不可解な現象を引き起こしたのは、彼だったらしい。

「急用が出来た、俺は帰る。じゃあな」
  青年は何故か、そのまま窓の方に向かって歩き始めた。
「待ってくれ」アドルフが彼を呼び止める。
  怪訝そうな表情で、青年は顔だけアドルフに向けた。

「なんだ、俺は忙しい」
「頼む、娘を一緒に連れて行ってくれないか」
  その言葉を聞いたシャロンの胸中は疑問と困惑で一杯になった。





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