序章   告げられた世界02


  シャロンがなんとか話終えて、妙な疲労感に襲われていると、そのことを知ってか知らずか、アドルフはシャロンの話が終わると、青年に意識を向けた。

「君の話や推測とも合っているようだね」
「……」
  青年は先程までの態度が嘘だったかのように、シャロンが部屋に入ってきたときと同じように宙を見つめている。けれども、アドルフは気に留める様子もなく続ける。

「君の推測と合っているのかどうか、確認してもらいたいのだが、いいかい?」
  青年はしばらく黙っていたが、「分かった」と言うと椅子から立ち上がった。その背にアドルフは声を掛ける。

「気配はするんだろう?」
「一応な」
「では持ってきてくれ。シェリー、案内を頼むよ」
「分かりました」

  青年の後に続いて、部屋を出る。青年の姿を追いながら、シャロンは新たな疑問について、考察していた。
  先程、アドルフは彼を古い知り合いだと言った。しかし、彼の外見から鑑みるに、せいぜい年齢を高く見積もったとしても、20代前半くらいにしか見えないのだ。いや、10代後半と言っても差し支えなさそうだった。それなのにも関わらず、彼を古い知り合いと呼んだ。
  しかし彼はどう見ても、上流階級の出身には見えない。アドルフは、いや、ハミルトン家は古くからの家である。どうしたって、会う機会のある人種は限られる。

  けれども、先程さり気無く彼の服装を観察したところ、あまり詳しくないシャロンでも、生地や仕立てがしっかりとしていた事が分かった。そして彼と父はどう見ても、対等な立場で話している。そして、そのような態度で接しているのに、なんだか彼を丁重に持て成そうという感じではない。
  しかも、それはアドルフだけではなく、雇われているはずのアシュトン夫人もと来ている。どういう関係性なのか想像もできない。青年を見ると迷う様子もなく、進んでいくのが分かった。
  シャロンはその様子に、別に案内はいらないのではないかと、訝しんだ。だが、それと同時に、青年が向かっている先には、私室しかないことに気づいた。

  ……厭な予感がする。
  その予感を裏切ることなく青年は、シャロンの部屋に入っていった。私室だということも別段気にする素振りも見せず、青年は辺りを見渡す。そして、シャロンの私物に手を付け始めた。
  シャロンは慌てて、自分が捜し物を探すと申し出たが、やはり、反応はない。仕方なく好きに行動させていると、青年の手が、トランクに掛かったことが分かった。
  流石にトランクの中には、見てもらって困るものしかない。シャロンは思わず、青年からトランクを奪っていた。

  しかしシャロンにとっては意外なことに、青年は殆ど力を入れずにトランクを持っていたようだ。これでもかと力を入れてしまっていたシャロンは、勢いあまり姿勢を崩してしまう。
  このままだと、床に頭をぶつけてしまうと思った瞬間――シャロンは自分の動きが止まったことに気づいた。

  首を傾げてみてみると、青年がシャロンを助けてくれたようだった。その事実が分かると、シャロンは途端に恥ずかしくなった。なぜなら、青年とすごく密着していることに気づいてしまったからだ。
  いや、ここに人がきたら、後ろから青年に抱きしめられていると勘違いされる体勢だった。恥ずかしさから視線を落とすと、腰のあたりに回された青年の腕が見えた。

  思わず青年を押し退け、支えてもらっていた腕から、するりと抜け出す。青年は体勢を崩したが、直ぐに姿勢を正していた。
  やはり、運動神経はいいらしい。無意識に青年を観察していると、ふと目が合ってしまった。き、気まずい……

「あ、あの……」
  思わず声をかけてしまった。しかし、何を言えばいいのだろうか。シャロンは青年から奪い返したトランクを、ギュッと握りしめた。
「本」
「え?」
  本のページが捲られるような、わずかな声がした。しかし、内容までは聞き取れない。
「そん中に、本あるか?」
  先ほどよりも、幾らか大きな声だ。
「は、はい。ありますが……」

  青年は手のひらを返して、その手を差し出してきた。本が読みたいということで、いいのだろうか?
  恐る恐る本を差し出すと、青年はシャロンのお気に入りの本をパラパラとめくる。そして閉じると「これだな」と再び小さな声でつぶやいた。どうやら、シャロンの本が目的だったらしい。
  しかし、どうして本を探していたのだろう。いや、どうしてシャロンがこの本を持っていたことが分かったのだろうか。不可解なことは増えるばかりである。
  シャロンが「もうよろしいですか」と声をかけようとしたその時――青年はシャロンの私室の床に倒れ込んでいた。

  ――ど、どうしましょう……――   まさか倒れるとは思わなかった。シャロンは左半身から倒れた青年を前に立ちすくんでいた。しかし、このまま何もしないわけにはいけない。
  恐る恐るシャロンは屈み、青年の顔を覗き込んだ。目が見開いていた。シャロンは思わず、後ずさりして固まってしまった。暫くそのまま動けなかったが、ある事に気づいた。

  青年の胸は動いていなかった。そう、呼吸しているようには見えなかったのだ。シャロンは恐ろしくなったが、青年をこのままにしておくわけにはいかない。そう思い、肩の辺りを揺り動かしてみた。しかし、反応はなかった。
  シャロンはまた別のことに驚いて、一拍遅れで手を離した。心なしか、体温を感じられなかった。なんだか硝子を触っているかのように、青年の体はひんやりとしていた。気のせいかと思い、再び肩の辺りに触れる。やはり青年の体は冷えていた。シャロンは異様なほどに冷たい青年に、再び触れる勇気はなかった。

  どうすればいいのか分からず考えていると、誰かを呼ぶべきだと気づいた。しかし何となく、使用人には頼まない方がいいような気がした。シャロンは自分の直感に従い、アドルフを呼んだ。
  急がなければいけないと言う思いが、足を走らせる。アドルフの私室へ飛び込むように入る。しかし、何と言っていいのか分からない。

「あ、あの……」
「そんなに慌ててどうしたんだい?」
「え、ええと、その……」
  うまく言葉がでてこない。言葉にしてしまえば、最悪の事態になってしまいそうな気がする。それに……
「何かあったんだね?」
「は、はい。あの、来ていただけますか?」

  アドルフは青年が倒れたというのに、気にする素振りは見せなかった。青年の体を背負うように持ったが、そのままずるずると引きずり、自分の私室まで向かった。
  そして、先ほどまで青年が座っていた椅子に、そのまま座らせるようにし、眼を閉じさせた。そしてアドルフも、先ほど腰をかけていた椅子に収まる。シャロンも、このまま立っているというのも居心地が悪かったので、椅子に腰掛けた。
  しかし、何となく落ち着かない。それに倒れた人をそのままにすると言う行動も、気がかりで仕方ない。普通なら、お医者様を呼ぶべきである。なのにそのままだなんて……チラリと青年を見ると、やはり息をしているようには見えなかった。

「あの、お父様」
  シャロンは尋ねる。
「なんだい?」
「お客様は、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だよ、直ぐに目を覚ますだろうからね。私もすっかり大切なことを忘れていてね。彼が来たときは準備が必要だというのに」
「準備……ですか?」
「そうなんだ、暫く会っていなかったせいで忘れてしまっていたよ……もう少しで、出来るだろう」
  ノックの音が聞こえてきた。
「旦那様、ご指定のものを用意いたしました」
「入ってくれ」
「失礼します」

  その声とともに入ってきたのは、執事(バトラーのレイヴン=フォードだった。両手には盆があり、そこには料理蓋がついた大皿やカトラリー等、食事に必要な道具があった。
  家政婦(ハウスキーパーと共に、使用人の監督を任されている彼が、わざわざ食事を持ってくるだなんて……やはり彼は特別なお客なのだろうか?  フォードはそれを青年の前に置き、去っていった。
「これで大丈夫だろう」とアドルフは独り言のように呟くと、シャロンに「彼が探していたものはその本かい」と尋ねた。シャロンが手にしているのは、青年が探していた本だ。父に青年を背負ってもらう前に、シャロンが青年の手から外しておいたのである。

「は、はい」
「見せてくれ」
  シャロンが本を手渡すと、アドルフは表紙や裏表紙をまじまじと見つめ「これがそうだとは……」と言った。
「お父様、この本が一体……」
「それは彼が起きてからにしよう」

  アドルフは料理蓋を外して、フォードが持ってきた中身を見せる。すると、そこにはローストビーフがあった。数分そのままにしておくと、青年がもぞりと動いた。そのまま青年は、自力でゆっくりと起きあがる。
「肉……」
「そうだ、肉だ。君が食べられそうなものだと思うが、これで大丈夫かい?」
「……」
  青年は無言のまま、ナイフとフォークを使って食べ始めた。小皿には取らずに、そのまま直に切り分けている。どうやら、彼にだけ用意したものだったらしい。
「食べながらでいいから、教えてくれないかな?」
「……」

  青年はやはり無言だ。今にも眠りそうな、いや、殆ど生気を感じられない様子で食べ進めている。シャロンを助けてくれた時とは大違いだ。切り分けられたローストビーフ自体も、とても薄く、力を殆ど入れていないことが分かった。
  アドルフはそれをみて、青年に話を振るのはやめたらしい。
「こうなると彼は、話を聞いてくれないんだよ」

  青年が食べ進めること数分。次第に切り分けられるローストビーフの厚さも徐々に厚くなり、握り拳ほどの大きさで切っている。食べる早さも先ほどとは打って変わり、ものすごい速さである。先程までの生気の無さは一体何だったのだろう。

  シャロンの思考を破るかのように、青年は「お代わり」と言った。





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