シャロンは友人の祖父が開いている舞踏会に参加していた。
先日、友人宅へ
友人宅からの帰宅後アドルフに話した所、予定が丁度開いていたらしく、出席することになったのだ。その話を聞いたアドルフがとても喜んでいたので、シャロンは心がじんわりと温まるような感覚に包まれた。
その顔を曇らせることのないようにと、事前にシャロンは、紳士録や友人の祖父であるメルフォルカ公爵の交友関係を確認した。
一応これで、出来るだけの事はしたつもりではいるが、不安は拭えなかった。鼓動が早くなっているのは、気のせいだろう。そうに違いない。
メリッサが作ってくれた夜会用の衣装に身を包み、先程から踊っている人々を長椅子に座りながら眺めていると、やはり、このような席は得意ではないと実感する。シャロンは無造作にグラスを口に運び、のどを潤す。
昨年と似たような状況下に、意識が擦り切れそうになるが、何とかその場に留まり続けていた。
昨年アドルフと二人で、メリッサもいたがそれは別として――舞踏会に出席時、"紳士"から誘われることはなかったのである。
いや、誘ってきた人はいた。だがその人は"紳士"と呼べる人ではなかったのだ。
周りの反応を見ていると、社交界デビューしたばかりで、顔と名前が一致しにくいシャロンでも、これはあからさまに、外聞が悪い人だということは即座に分かった。
しかしデビューしたてで、母親もいないシャロンには、上手く断る術はなかった。それに輪をかけて、元々喋るのは苦手なシャロンは、断りきれずに一曲踊ってしまったのであった。
その様子を伺う周りの人々の視線が、あんなに恐ろしい物だと言う事をシャロンは初めて知った。
その視線はまるで槍のように心身を貫き、しばらくその恐ろしさから震えが止まらなかった。未だにありありと思い出すことが出来る。
あんなに人々の視線が怖かったのことはなかった。
自分の様な冴えない田舎娘には、ああいう
気持ちが落ち込んだことで、逆に神経が高ぶったのか、長椅子で休憩していた時そこで聞きたくないことを聞いてしまった。
こちらを探るように、わき目でちらちらと見ながらぼそぼそと話しているのが目に入ってしまったのだ。途切れ途切れに聞こえてきたことをつなぎ合わせると、
「亡くなった伯爵夫人は美しくて、社交的な方だったのに、娘のほうは全然似ていないのね」
という内容だった。
シャロンはそれを聞いて、未だに母が忘れられていないことに、嬉しいような――それでいて心がスッと冷えるような感覚に陥った。
自分が社交における母の姿に恥じない様な振る舞いが出来れば、こんな風には思われなかったのに……一度そう思ってしまうと、どんなに気にすることではないと自分の言い聞かせても、いや、そうすればするほど、自分の惨めさが一層際立つ気がした。
今も相変わらず、社交界で忘れられる事のない母と自分は、本当に母娘なのかと自分でも疑ってしまうくらいに似ていなかった。しかし、見ず知らずの他人にまで言われてしまうとは……分かっていたとはいえ、悲しかった。
そこに何も知らないアドルフが――懇意にしている方たちとの舞踏は終わったらしい――やってきたが、何も言えなかった。
シャロンは直接ではないが、アドルフが後妻を迎えることを勧められているのにも関わらず、幾度も断っていたのを知っていた。きっと母を忘れらないのだろうと思う。未だに母を思い、再婚しようとしないアドルフに、そんな話はしたくはなかった。そう思ったため、その時は何も言わずに終わったのだった。
今回はその様な状態に陥ることはないだろうと思う。何と言っても、ラヴィニアが居るのだから。
ラヴィニアも様々な人が集まる公爵家が開く舞踏会のため、出来るだけたくさんの人と交流を図りたいのであろう――一か所に留まることを知らない。シャロンがちらりと様子を伺っただけでも、もう五人もの人と会話をしていた気がする。それでもやはり、同じ空間に居てくれるだけでも違う。
招待状と一緒に同封されていたプログラムには、誰の名前を書いたらいいのか分からないため、叔母に踊ってもいい相手の名前を書いてもらっていた。叔母が選んだ人物の名前を見てみると、流石としか言いようがない、名前が並んでいた。シャロンが物怖じしないくらいの地位の人の名前ではあるが、しっかりと安定している家名を持つ人物の名前ばかりであった。
やはり、このように事前にある程度希望に沿ってもらえた方が精神的にも楽である。自分で決める必要もないし、誘われることを待つ必要もないのだから。
もしかすると友人は、プログラムが配布されると分かっていて、誘ってくれたのかもしれなかった。よく考えると、いや考えなくても当然だ。なんて言っても、友人のおじい様は公爵なのだ。格式高い社交を行うのは当たり前のことである。
そうしていると、そろそろ曲が終わる頃だと気づく。
シャロンは長椅子から立つと、次に踊る予定の相手を目線で探す。すると相手も気付いたのか、シャロンの許へ来て挨拶を交わすと、曲に合わせて踊り始めた。
長いような短いような時間が終わった。相手が終始穏やかな雰囲気だったので、なにも粗相はしなかったとは思う。
断定できないのは、緊張であまり覚えていないからである。その後も二曲別の相手と踊ったが、自分が何を言ったのか覚えていない。
それにしても、あまり間が空かないまま踊ったせいか、疲れてしまった。
別室に用意されているビスケットでも食べて落ち着こうと思い、舞踏室から廊下に出る。先程までとは違い、人の声一つしない空間で、シャロンは一息ついた。
やはり、社交は苦手である。しかし、昨年より遥かにいい滑り出しだ。自分の努力の結果ではないが、順調に終わりそうでほっとする。
そのまま別室へ足を進めようとすると、スカートの裾を何かに引っ張られた。
振り向くと、何時の間に現れたのだろうか?白と青のセーラー服姿の五歳位の男の子が、シャロンのスカートの裾を持ったまま黙っている。
「どうしたの?」
シャロンは公爵家にこのくらいの男の子が居たか思考を巡らせるが、思い当たる節がなかった。男の子と目線が合うようにしゃがむ。
「あなた、迷子になってしまったの? どこからきたか覚えてる?」
「別にぼくの事はどーでもいいでしょ? おねいさんを探していたんだ」
「私を?」
「そーだよ」
無邪気な笑みを浮かべる少年は、さながら天使のようだったが、シャロンは何故か背筋に悪寒が走るのを感じた。
しかし、このまま無視するわけにもいかない。
「貴方のお世話をしてくれる人は何処にいるの? みんな心配してるわよ?」
シャロンは何とか彼と手をつなぎ、彼の乳母を探そうとした。きっと探しているに違いない。
「おねいさん、聞いてなかったの? そんなことどうでもいいよ、こっちに来てよ」
彼は繋がれた手を、幼い子とは思えないほど強い力で引っ張ると、シャロンを連れ出した。