序章   迫りくる霧01


  シャロンは、王都行きの蒸気機関車に揺られていた。
  手触りのいい、赤の天鵞絨(ビロードの織物が張られている椅子に腰かけ、背もたれに体を預けて目を閉じている。しかし――眠っているわけではない。

  この機関車に揺られて結構な時間が経った。しかし脳裏には、昨年の王都での記憶が幾度も蘇ってくる。それを必死に抑えようと目を閉じているのだが、失敗ばかりなのだ。
  何も考えずに、このまま眠ってしまいたい。しかしどんなに願っても、あの光景が張り付いて消えない。
  いっその事、目を開けてしまえばいいのだと思う。けれど、機関車に揺られて大分時間が経ってしまった。

  今、目を開けても、いい思い出のない王都――ブリュネベルへと続く街並みが見えるだけだろう。
  そう思うと、益々気持ちが落ち込んでいくのが分かった。シャロンは都会があまり好きではない。昨年の事も好きになれない理由の一つだが、それだけではなかった。
。自分一人がその場に都会の人々の忙しない様子を見ていると、なんだか迷子になったような気分になってしまうからだ。自分一人がその場に取り残されたように感じてしまい、どうしようもなく不安に駆られてしまう。

  しかし、卓子の反対側に座っている侍女(レディースメイドのメリッサは違った。王都へ着くのが待ちきれないようだ。目を閉じていても、そわそわと落ち着かない雰囲気が伝わってくる。
  人の目があるので、一切他の乗客の目を引くことはしていないが、本来なら車窓から身を乗り出し風景を見ながら話をしたいに違いなかった。
  このままこうしていても、嫌な光景が浮かぶばかりなのは分かり切っている、気分転換を兼ねてメリッサと他愛のないことを話したほうがいいだろう。   そう思い目を開けると、待っていましたと言わんばかりにメリッサは声をかけてきた。

「お嬢様、いよいよ着きますね」
  そういうメリッサの顔には喜色が浮かんでいる。メリッサもシャロンと同じく、シャロンの父が治めるロゼッツから殆ど出る機会がない。
  だから今回シャロンの侍女(レディースメイドとして、王都に同行出来る事が純粋に嬉しいのであろう。
「えぇ、そのようね」
  一応返事はしてみたものの、とても同意しているような声音にはならなかった。取り繕うのも出来ないほど、自分は王都へ行くのが嫌なようだ……これでは、皆に心配をかけてしまう。
  脳裏に、父のアドルフや、叔母のラヴィニア、家政婦(ハウスキーパーのキーツ夫人等々……さまざまな人物の顔がちらついた。タウンハウスに着く前に、気持ちを切り替えなければいけない。昨年のように、皆の期待を裏切るわけにはいかないのだから……

  機関車の車掌が王都(ブリュネベルに着いたことを知らせる。忌まわしい記憶を振り払おうとしている間に、随分と時間が経ってしまっていたようだった。
  表情を取り繕い、メリッサと共に一等車を後にし駅の中から出る。
  すると、幼いころから見慣れている紋章が描かれている――箱馬車(ブルームが見えてきた。その傍らには同じく見覚えがある青年が立っている。
  青年はシャロンたちを見つけると一礼した。
「御苦労さま、ウィリー」
「お嬢様、長らくのご移動さぞお疲れでしょう。もう少しで着きますので、それまでご辛抱ください」
  ウィリーと呼ばれた青年は、にこやかに笑いかけ、労わるようにそう伝える。シャロンは、若干顔が引きつるのを感じたが、微笑みを返した。使用人を思いやっているのが伝わる微笑みだ。

  彼は馬の背を軽く叩くと、シェリルとメリッサを箱馬車に乗せ、自分は馬車の前部に座ると馬車を走らせた。箱馬車が音を立てて徐々に速度を上げて走り出す。
  シャロンは王都に来たということもあって、普段以上に人々の視線が怖かった。

  基本的に上流階級が保有している馬車というものは、その家の紋章が描かれている。見る人が見れば、名札を貼り付けて歩いているのと何ら変わりはないし、分からない者でも階級が高い人間が乗る馬車だということは、安易に想像がついたであろう。
  もしかしたらもう何処かで、話のタネになっているかもしれないと思うと、シャロンの胸は針で刺されたかのように痛んだ。そう思えば思うほど、気を休めてはいられない。ロゼッツ伯爵である父に恥じないようにしなければ……

  シャロンの沈痛な思いは変化することのないまま、箱馬車はブリュネベルでの家であるタウンハウスに着いた。





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